「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)

ビジネスクラスで子どもが大はしゃぎ…外国人の“マナー無視”を本当に許していいのかPhoto: Adobe Stock

「ビジネスクラスではしゃぐ子ども」許せる?

ビジネスクラスでの優雅なひと時、グリーン車の落ち着いた空間、そこに割って入る子供の泣き声。

せっかく奮発して特別な時間と空間を確保したのに、ムードも台無しの子供の泣き声に、残念な気持ちになった経験がある人もいるのではないだろうか。

至る所で「常識」に関する論戦が繰り広げられているが、日本人の「常識」はどこまで妥当なのだろうか。

インドは子どもに寛容

私が、インド発またはインド着のビジネスクラスに乗るときには、優雅なひと時は何も期待しない。こちらでは、子供が騒ぎまくるのは当たり前という文化があり、子どもに対して極めて寛容な社会ができあがっている。(なお、大人でもうるさい)

イベント会場で、子どもが靴のままテーブルにあがってダンスをしているのを周囲の大人が笑って見ている状況に唖然としたこともある。寺院の参拝に1時間近く並んでいる中で、子ども連れの家族がぞろぞろと列を抜かした前に出ていくのを、皆あたりまえのように許容している光景にも出会う。

子どもが重要視される社会

インド民は、他人の子供が騒音や我儘をまきちらすことを許容しつつ、自分の子供がそうすることも社会に許容させるというスタイルなのだ。子育て家庭の駐在員にとっては、インドは子育てのストレスが意外に少なく、日本よりも伸び伸びと子育てができるという声もあるくらいだ。

あるインド民は、「子供は家族のランタン」と言っていた。子供の存在が家庭に笑顔と光を与え、それが家族の中心になるという意味だ。その一方で、結婚して何年も子供も作らず仕事もしない妻のことを、「ブタ」(食って太るだけ)と呼んでいて、それだけ子供の存在はインド社会の中では大事にされている。

子どもを「戦略資産」として捉える

この根底には、家族というものは一体で、総力戦で生きているという考え方がある。子供を産む・産まないが、まるで選択制として捉えられている日本や西欧米を中心とした一部の国とは対照的に、子どもは、いかまともに育てあげ、自分の世話や家族の面倒を見てもらうかということに繋がる重要な「戦略資産」なのだ。

そんな重要な存在だからこそ、子どもが生み出す迷惑に対して社会の許容度が高く、多少飛行機の中で騒ごうが走り回ろうが、見逃すことができる。

「自分が生みたいと思って生んだのだから、その責任は自分で持て」という日本社会の意識が、ビジネスクラスやグリーン車での子供の迷惑に対する不寛容さに繋がっている。

「インドの思考」で日常の悩みから解放される

「子供は、社会で生きていく中でどうしても必要なので、それによって生じる問題については皆が目をつぶる」という共通認識があれば、ここまで論争にはならないだろう。
しかし、その裏返しとして、「ブタ批判」が出うることも知っておかなければならない。

どちらの社会が心地よいかは、それぞれの考えによる。しかし『インド人は悩まない』で紹介しているインド民の考え方には、日常の悩みを別の角度から捉えて、「考えすぎ」から解放されるためのヒントがある。
1億人の日本列島という小さい空間から、14億人の大陸に目を向けてみると、これまで窮屈に考えていたものから、すっと楽になる思考法に出会えるはずだ。

(本記事は『インド人は悩まない』の一部を加筆・調整・編集した原稿です)