「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)

インドでは「クマよりずっと危険」…年間2万人を死に至らしめる“日本にもいる動物”の名前Photo: Adobe Stock

インドでクマよりも怖い動物の名前

今年の漢字は、「熊(クマ)」に決まった。日本では、今、何が話題ですか?と日本からインドに来る出張者に聞くと、最近は熊のニュースばかり、と返ってくる。他にも様々なことが起きているはずなのに、熊が出た話が大事件かのように日本で報道され、トップニュースを飾っていることに驚く。

インドで熊の被害に遭う事件は、ほぼ聞いたことがない。トラの被害が田舎の村で発生することはあるが、都市部でトラに襲われて人が死ぬという事件は、滅多に発生しない。
しかし、インドには熊よりも圧倒的に危ない生物がいる。その生物によって年間なんと約2万人の死者が出ている。

「致死率100%」の絶望的な病気

その生物とは、犬だ。
犬といっても、犬にかみ殺されるわけではない。インドの野良犬を原因とする狂犬病による死者が約2万人もいるということだ(数字はWHOによる推計値)。

狂犬病とは、犬などに噛まれたことによって感染するウイルス性の感染症で、発症した場合ほぼ100%死に至るという治療法もない絶望的な病気だ。

インドの野良犬の数は6200万頭という調査がある。確かに私のインドの家の周りにも朝晩犬が歩き回っている光景が日常だ。
実利を重んじるインド民であれば、犬なんて一斉に捕まえて殺処分をするくらいしそうだが、政府や行政の腰は重く、人々も複雑な感情を持っている。

それでも野良犬がいなくならない理由

動物を殺める行為は非常に暴力的で、インド的には「徳」にとって悪いことと捉えられる。「アヒンサー」として知られるこの信条の歴史は古く、ガンジーの非暴力不服従の基礎になっているインド民全体の信条ともいえる。だからこそ、犬を一斉に捕まえて処分するという手段を強行した場合、政治家や役人は強烈な批判を浴びることを皆分かっている。G20がデリーで開かれた際に犬を都合の悪い場所から別の場所に捕まえて「移動」させるだけでも、動物愛護の観点から大批判が起こったくらいだ。そもそも法律で犬の安楽死は禁止されているのである。

誰しも自分の「徳」や人気を下げてまで、抜本的な野良犬対策を行う合理性を感じていない。ひたすらに自分のことを考えた結果の合理的な判断として、誰も犬の駆除に乗り出さないのだ。その意味では、いつまでもなくならない野良犬と狂犬病のリスクは、非常に強い自分中心主義と損得計算の現れのような社会現象である。

インド人は今日を必死に生きている

2万人という死者もインド全体からすると、許容範囲なのかもしれない。
狂犬病ごときは、仮に噛まれたとしてもすぐさま病院へ行き、注射を複数回打てば、発症するリスクはほぼゼロに抑えることができる病気と見られている。
駐在員が、「狂犬病の予防注射を打ちたい」とインドの病院に相談したら、「噛まれていないのに、そんなもの打つ必要ない」とインドの医者に言われたケースを何人も知っている。都市部に住み、医療機関に容易にアクセスできる人々にとっては、狂犬病のリスクは、たいしたことないのだろう。

裏を返せば、狂犬病のようなアクシデントに巻き込まれなくとも、大気汚染や交通事故など、別の事象でも人は簡単に死ぬ。インド社会の競争と生存環境は厳しい。起こるかもしんないリスクよりも、インド民は、日々目の前のことに必死に生きている。
非合理に見える社会現象の中にも、強烈に個人の合理性を求め、確実な損得にだけ集中するインド民の心が写されている現象として、犬とインド民の関係は、とても面白い。

(本記事は『インド人は悩まない』の一部を加筆・調整・編集した原稿です)