「自分はもっとできるはずなのに、なぜか評価されない」「会議でがんばって発言した日ほど、帰り道の自己嫌悪がきつい」。認められたい気持ちと、空回りしている不安の間で揺れてしまうことはないだろうか。そんな人に手に取ってほしい一冊がある。「もっと早くに出会いたかった!」と絶賛されている書籍『頭のいい人が話す前に考えていること』(安達裕哉著)だ。本記事では、「頭がいい人に見られたい」という気持ちがなぜ空回りするのかを、本書をもとに考えてみたい。(構成/山守麻衣)

頭のいい人が話す前に考えていることPhoto: Adobe Stock

会議で発言するほど、なぜか空回りする

会議などで認めてもらおうとして、少し無理をして発言したことはないだろうか。
「ここで何か言わないと」と思って口を開く。難しそうな言葉を使ってみたり、他部署の事例を持ち出してみたり。
でも、反応がない。あれ、何いってんだろ。と会議後に反省する。
家に帰ってからも、的外れだったかな、バカと思われたかな……と不安がぐるぐる回り始める。
安達氏は、その空回りが起きる理由を具体的に説明している。

「頭のよさ」は誰が決めるのか

安達氏が最初に突きつけてくるのは、こんな問いだ。

「頭のよさは『だれ』が決めるのでしょうか? 自分……ではないですよね。自分で自分のことを“頭がいい”と決めていたら、それはちょっと頭がいいとは言えない気がします。頭のいい人は自分で『私は頭がいいんだ!』と言わないはずです。では、頭のよさは自分ではなくだれが決めるのか。そう、他者です」(p.56-58)

頭のよさは、自分が決めるものではない。
相手が「この人は頭がいい」と認識して初めて、頭のよさとして機能する。
つまり、「頭がよく見られたい」という気持ちが前面に出た瞬間、言葉は相手のためではなく自分のためのものになる。その違和感が、そのまま相手に伝わってしまう。

「賢いふり」は、なぜバレるのか

安達氏は、「賢いふり」について厳しい指摘をしている。

「頭のいい人は、頭のいいふりをする必要はありません。賢いふりをするのは、本当に頭のいい人の賢いふるまいとは真逆なのです」(p.74)

さらにこう続く。

「たとえば『なんか言っているようで、何も言ってない発言』をする人たちは、『賢いふりをする人』の代表例です。(中略)しかし、実際には中身がない『賢いふり』は、その場しのぎにはよいですが、人の心を動かしません」(p.74-75)

頭のいい人に思われたくて、できる人と思われたくて、一生懸命話す。

一見、うまく話せたように思う。でも、相手の心は動かない。次の仕事が来ない。相談も減る。
その積み重ねで、「浅い人」ポジションが固定されていく。

これが「仕事してるつもりになってるだけの浅い人」の特徴だ。

では、「頭がいい人に見られたい」という気持ちは、捨てるべきなのだろうか。