量子コンピュータが私たちの未来を変える日は実はすぐそこまで来ている。
そんな今だからこそ、量子コンピュータについて知ることには大きな意味がある。単なる専門技術ではなく、これからの世界を理解し、自らの立場でどう関わるかを考えるための「新しい教養」だ。
『教養としての量子コンピュータ』では、最前線で研究を牽引する大阪大学教授の藤井啓祐氏が、物理学、情報科学、ビジネスの視点から、量子コンピュータをわかりやすく、かつ面白く伝えている。今回はマイクロソフトが注目している不思議な粒子についてお届けする。
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マイクロソフトのちょっと変わった道
量子コンピュータという言葉を耳にすると、多くの人はGoogleやIBMが開発している、超伝導量子ビット方式の量子コンピュータを思い浮かべるかもしれない。
現在話題になっている量子コンピュータの多くは、超伝導量子ビットなどの電気回路や、電子、原子といったものを量子ビットとして採用している。
しかしマイクロソフトは、黎明期から少し変わった道を進んできた。
壊れやすさという量子コンピュータ最大の弱点
量子コンピュータの本質的な難しさは、その壊れやすさにある。
量子状態は環境からの影響に極端に弱く、わずかなノイズや揺らぎによって簡単に情報を失ってしまう。
これを補うために、大量の量子ビットを用いて情報を守る、量子誤り訂正の実験が進められている。
マイクロソフトが問い直したのは、この前提そのものである。
「そもそも、壊れにくい量子情報が物理法則を用いて作れないだろうか?」
「エニオン」と計算の「編み込み」
マイクロソフトが注目したのは、「エニオン」と呼ばれる粒子だ。
光や電子といった身の回りにあるほとんどの粒子は、物理学ではボーズ粒子やフェルミ粒子と呼ばれる2種類の粒子に分類される。
これらの粒子は、互いに位置を変えたとしても大した変化が起きない。
このため、光や電子を用いて量子コンピュータを作るためには、直接近づけて相互作用させる必要がある。
一方で、エニオンと呼ばれる粒子は、直接近づけなくても、互いに位置を入れ替えることで、量子情報が変化する。
あたかも、粒子が紐に繋がっており、それらを編んでいるように、量子コンピュータを実現することができる。
編み方の形(トポロジー)を変えると違った計算になる。
このような粒子、トポロジカルな量子ビットを組み紐のように量子計算をプログラムする手法がトポロジカル量子計算である。
この手法では、組み紐はどの紐がどのように絡まっているかだけが重要であり、微妙に長さが異なっても同じ計算になる。
これがトピロジカルな量子ビットがノイズに対して強いという物理的な理由だ。
マイクロソフトは、量子コンピュータがビジネスとして話題になるずっと前から、物理学者や数学者を集めてStationQという研究チームを作り、長期的な基礎研究を続けてきた。
マヨラナ粒子は、なぜ見つからないのか
現在、このエニオン粒子の候補として注目されているのが、物理学者、エットーレ・マヨラナによって理論的に預言されたマヨラナ粒子である。
自然界にこのマヨラナ粒子を見つけることは難しいそうであるが、人工的に作られた物質の中に現れる「準」粒子として、マヨラナ粒子を実現しようという実験が進められている。
これまで、マヨラナ粒子が見つかったかもしれないという発表が何回かあったが、決定的な証拠には至らなかった。
これは、マヨラナ粒子がノイズから守られているという物理的な性質にも由来する。
通常の量子ビットであれば、量子ビットとして量子情報を変化させることで、正しく量子ビットとして機能しているということを実験的に示すことができる。
しかし、マヨラナ粒子の場合、守られているが故に中途半端には操作ができない。
実際に、マヨラナ粒子の位置を互いに動かし、計算をして初めてその性質を直接的に示すしかないのだ。
行方不明の天才・マヨラナ
同時代の物理学者たちから天才と称されたマヨラナは、マヨラナ粒子の預言の翌年、1938年に突然姿を消す。
真相はよくわからないが、船旅の途中に失踪し、行方不明になった。
マイクロソフトが選んだトポロジカル量子計算の道は、決して近道ではない。
しかし、もし成功すれば、これまでとはまったく異なる、頑丈な量子コンピュータが実現する可能性がある。
2026年こそマヨラナ量子ビットの手がかりを掴むことができるだろうか。
行方不明の物理学者の名を冠した粒子が、量子コンピュータとしての姿を現す日を、多くの研究者が待ち続けている。
(本稿は『教養としての量子コンピュータ』の著者が特別に書き下ろしたものです。)





