量子コンピュータが私たちの未来を変える日は実はすぐそこまで来ている。
そんな今だからこそ、量子コンピュータについて知ることには大きな意味がある。単なる専門技術ではなく、これからの世界を理解し、自らの立場でどう関わるかを考えるための「新しい教養」だ。
『教養としての量子コンピュータ』では、最前線で研究を牽引する大阪大学教授の藤井啓祐氏が、物理学、情報科学、ビジネスの視点から、量子コンピュータをわかりやすく、かつ面白く伝えている。
本稿では、作家の橘玲氏に本書の魅力を寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)
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自然の言葉で計算できる機械
最初に断っておくと、私は量子論はもちろん物理学の基本的な知識すらかなりあやうい。
藤井啓祐さんの『教養としての量子コンピュータ』がすごいのは、そんな私でも「なるほど、量子コンピュータはこんなふうに世界を変えていくのか」と思わせてくれたことだ。
藤井さんはこの本の「はじめに」で、量子コンピュータが新薬の開発から核融合のようなエネルギー革命、さらには次世代の金融やブロックチチェーンにいたるまで、あらゆる分野で使える理由を「私たちの自然界を支配している物理法則そのものが「量子力学」だからである」とシンプルに述べる。
「自然を、自然の言葉である量子力学の原理で“計算”できる機械。それが量子コンピュータ」なのだ。
「量子(quantum)」とはもともと、本来連続的だと思われていたエネルギーという「量」に、それ以上細かく分割することができない基本単位があるという意味だ。
わたしたちの世界は、大まかにいえば「物質(粒)」と「光(波)」の2つによって成り立っている。
ところがその後、光は粒子のようにも振る舞い、電子などの粒子は波のようにも振る舞うことがわかってきた。
こうして、「粒子」と「波」の性質を併せ持った量(エネルギー)のミクロの単位が「量子」と呼ばれるようになった。
「鶴の恩返し」で分かる“重ね合わせ”
量子はたくさんの奇妙な性質をもっているが、そのなかでも常識を大きく超えているのが、「観測をするまでは波動として空間に広がりを持って重ね合わせ状態として存在し、観測するとある一点に粒子の位置が定まる」という性質だろう。
これが「量子の重ね合わせ」で、オーストリアの物理学者シュレーディンガーはこの不思議を、密閉された箱に閉じ込められた猫が50%の確率で毒ガスで死ぬとすると、「生きている猫」と「死んでいる猫」が(量子的に)重ね合わされているのだと述べた(シュレーディンガーの猫)。
だが藤井さんは、これを日本の民話「鶴の恩返し」でもっとわかりやすく説明してくれる。
貧しい男が猟師の罠にかかった鶴を不憫に思って助けたところ、その晩、美しい娘が家を訪ねてきた。
妻になった娘は「決して部屋を覗かないでください」といって素晴らしい布を織り、それが高く売れて男は裕福になった。だが日に日に痩せていく娘を心配した男は、約束を破って部屋を覗いてしまう。
するとそこには、自分の羽毛を抜いてきらびやかな布を負っている鶴の姿があった。
驚いている男に向かって娘は、助けてもらった恩義を返すために所帯をもったが、正体を知られた以上、去らねばならないと告げて、鶴に姿を変えて飛び立ってしまう――。
これを藤井さんは、「機織りをしている鶴と娘が重ね合わさった状態」は、障子を開けてしまうことで、どちらの姿であるか観測される。その結果、重ね合わせが解け、鶴は飛んでいってしまったのだという。



