「佐山が入ってきた時のことは覚えてるよ。高校1年でレスリングの山口県チャンピオンになったんだろ?スパーリングをやった時、『コイツ、チビだけどやるなあ』と思ったよ。佐山は『藤原さんにグチャグチャにされた』と言ってるみたいだけど、あの時、あいつは16歳だろ?俺は8つ上だから24歳か。それはしょうがないよ。
それで佐山が入門してきてからは、俺と毎日スパーリングするようになって、俺が1人やってた関節技の研究が2人になった。道場での基礎トレーニングが終わったあと、2人で2時間ぶっ続けでスパーリングをやったこともあった。
だから新日本の道場内に、たった2人の関節技の研究室ができたみたいなもんだよ。トップの猪木さんが寝技が好きだから、団体にとってはカネにならない研究に俺たちは給料をもらいながら没頭することができた。まあ、給料の額は少なかったけどな(笑)」
佐山の新人時代は猪木の異種格闘技路線真っ只中の時期。藤原と佐山は、新日本の道場で関節技のスパーリングを続けながら、藤原はボクシング、佐山はキックボクシングと、貪欲に他の格闘技の技術も学んでいった。
「佐山と練習後によく、『俺たちの関節技と、アマチュアレスリングのタックル、キックボクサーの蹴りとボクサーのパンチ、これが全部できたら最強の選手になるだろうな』なんて話していたんだよ。結局、佐山は“そっち”に行っちゃったけどね」
その後、前田が藤原とスパーリングをするようになり、その輪は髙田、山崎一夫ら、さらに若い世代にも広がっていった。そして、それまで日の目を見ることがなかった関節技の技術は、84年に第1次UWFが旗揚げし、キックと関節技を中心とした、いわゆる「UWFスタイル」として花開くこととなる。
第1次UWF活動休止後、業務提携という形でUWF勢が新日本マットに戻ってくると、藤原らの関節技が猛威を振るい新日本勢を苦しめ、それが『ワールドプロレスリング』で全国放送されることで、関節技の恐ろしさと面白さが、ファンにも広く知られることとなった。







