その答えは既にわかっています。もちろん、「ありのままの自分を受け入れる」ことです。
しかし、今更どうしたらそんなことができるのでしょうか。実は、その前に必要なことがあります。それは「自分のありのままの気持ちに気づく」ことなのです。そんなことは簡単なように思うかもしれません。しかし、よく考えてみてください。
本当に自分のありのままの気持ち、わかっていますか?
私たちは、自分に嘘をつくことがあります。これを自己欺瞞といいます。
健全な自己愛を得られていない人は、特にこの自己欺瞞が多いのです。つまり、「自分のありのままの気持ち」だと思いこんでいて、実はそうではないものが沢山あるのです。
大勢の人が抱えている
「自己愛不全」という呪い
たとえば、こんな人のケースについて考えてみましょう。Aさんは、「自分の意見は特にない」派の人間だと思っています。自分の意見は特にないので、何を聞かれても、「何でもいいよ」「アナタの好きなものでいいよ」「みんなで決めて」と言ってしまいます。誰かと食事に行くときも、遊びに行くときも、他人の意見に決まってしまいます。でも、実は、あとでモヤモヤと考えてしまうことがあります。「今日は魚のほうが良かったかな」「本当は家でゴロゴロしたかったな」などと。
このAさんは、私が創作した一例にすぎませんが、きっとこんな人どこにでもいると思うのです。もしかしたら「私だ」などと思う人もいるかもしれません。
では、このAさんは自分の気持ちに嘘をついていたのでしょうか。本当は違う気持ちだったのですから、結果からすると嘘をついていたことにはなります。ただ、これは結果論にすぎません。最初に自分の意見を聞かれたとき、「特に何でも良い」と思ったのは事実です。だからこの点では嘘ではないとも言えます。
ではAさんのモヤモヤの正体は何なのでしょうか?
これはAさんが「自分のありのままの気持ち」をわかっていないことが原因なのです。自分の気持ちを覆い隠して、本当はそうではないものを自分の気持ちと思いこむ。自己欺瞞の癖がついてしまっているのです。
その理由には、様々なものが考えられます。
『愛の処方箋』(精神科医Tomy、光文社)
たとえば、小さな頃から親に自分の意見を否定されて育ってきた場合。この場合は、「自分の意見など持っても無駄だ」という学習をしてしまいます。自分の意見を表明して、否定されたら嫌な気分になります。だったら自分の意見を言わないほうが楽です。それでも「自分の意見を言えない」ことはストレスになります。それが進むと「自分の意見がわからない」「自分の意見はない」という状態になります。自分の意見がないことになっていれば、表明する必要もない。否定されることもない。そういう悲しい学習の結果でも、Aさんのような事態になり得ます。
こうした事態は、いろんなところで起きています。
自分のありのままの気持ちを知ることは、時として困難なのです。また、健全な自己愛が「自分のありのままの気持ちを受け入れる」ことであれば、Aさんもまた、不健全な自己愛の持ち主なのです。
こうして考えると、Aさんのように不健全な自己愛から起きる「自己愛不全」の犠牲者は大勢いるはずなのです。「自己愛」は「愛」の基本です。つまり、「愛」に悩み、本稿を今読んでくださっている皆様もおそらく「自己愛不全」という呪いにかかっているのです。







