スタートアップが成功できるか、失敗して消えてしまうか? それを決めるのは、Product Market Fit(PMF:プロダクト・マーケット・フィット/市場で顧客に愛される製品・サービスを作ること)を達成できるかどうかにかかっている。増補改訂版 起業の科学 スタートアップサイエンスVer.2』(田所雅之著、ダイヤモンド社)は、起業家の8割が読み、5割が実践する起業本のベストセラー『起業の科学』を9年ぶりに大改訂した最新版。本連載では同書から抜粋して、スタートアップの成長を加速するポイントについて、わかりやすくお伝えしていきます。

「誰から見ても優れたアイデア」が、スタートアップのアイデアにならない理由Photo: Adobe Stock

代表的な2つの失敗事例

 誰が聞いても「良いアイデア」の市場がすぐに混み合う理由は何か?

 それは大企業のロジック/意思決定方法を考えれば分かる。

 大企業が新規事業を始めるときは、取締役会でほとんどの役員が賛同しないと稟議の承認が下りないケースが散見される。

 判断の際に役員が気にするのは、課題の質や“現場感”“ユーザーへの共感”などではなく、その事業がもたらす売上や利益の見通し、蓋然性、既存のコアビジネスと競合しないかといった点である。

 新規事業の担当者は、社内で役員と顔を合わせるたびに、このような質問を何度も投げかけられる。

3年以内に売上を100億円に持っていくことができるかね。ただし、うちの現業とカニバったら(競合したら)ダメだよ」と。

 この思考パターンが生み出した代表的な失敗事例を挙げてみよう。

「suitsbox」は、なぜ失敗したのか?

 AOKIが2018年にスタートしたスーツのサブスクリプションサービス「suitsbox」は、スーツ離れが進む若年層をターゲットに、月額7,800円でスーツセットをレンタル提供するという画期的なアイデアだった。

 しかし実際には、利用者の中心は40代以上の既存顧客層となり、既存のスーツ販売事業との間で深刻なカニバリゼーション(売上の食い合い)が発生した。新規サービスによって既存の購買需要が奪われる構図となってしまった。

 失敗の背景には、サブスクリプションモデル特有の物流の複雑さへの理解不足もあった。スーツのレンタルサービスでは、以下の工程を継続的に循環させる必要がある。

 商品の調達・管理 → 会員ごとの商品選定と個別配送 → 返送品の受け取り → 検品・修繕 → クリーニング → 保管 → 再配送。

 この物流システムは、商品を配送すれば完結する通常のEコマースと比べて格段に複雑である。返送・再配送を伴うサブスクリプションモデルでは、物流にかかる手間や費用が飛躍的に増大し、収益性の確保が極めて困難となる。

 AOKIは、こうした現場での運営コストの重さを十分に検討しないまま、表面的な市場ニーズにのみ着目してサービスを開始したのである。結果としてこのサービスは6ヶ月で終了になった。

「メルカリ ハロ」は、なぜ失敗したのか?

 またメルカリの「メルカリ ハロ」は、2023年12月に開始されたスキマバイトサービスで、既存の2,300万人というユーザー基盤を活用し、短期間で1,200万人の登録者を獲得するという「華々しい成功」を収めた。

 この数字は業界最大手Timeeの1,000万人(2024年12月時点)を上回るものであり、表面的には圧倒的な勝利に見えた。

 しかし実際には、わずか1年9ヶ月でのサービス終了という結末を迎えることになった。失敗の背景には、両面市場における「需要サイドの構築」という本質的課題への理解不足があった。スキマバイト事業では、以下の循環を機能させる必要がある。

 事業者拠点の開拓 → 求人在庫の確保 → ワーカーの登録促進 → マッチングの成立 → 実働率の向上 → ワーカーの支払い → 事業者の継続利用 → さらなる拠点開拓。

 この循環の起点となる「事業者拠点数」において、メルカリ ハロは決定的に出遅れた。Timeeが7年かけて構築した39.2万拠点に対し、メルカリ ハロは1年9ヶ月で15万拠点にとどまった。

 この2.6倍という差が、ユーザー体験を根本から変えてしまった。登録者1,200万人という数字は、実は大半が「仕事が見つからず離脱した休眠ユーザー」だったのである。

 この問題を象徴する数字が、2024年度の就業実績である。Timeeの年間就業実績が約1,805万日だったのに対し、メルカリ ハロはわずか94.7万日――登録者数ではTimeeを上回りながら、実際の働く回数では約19分の1という惨憺(さんたん)たる結果だった。

 さらに、事態を悪化させたのが手数料の有料化のタイミングである。

 メルカリ ハロは2025年3月末、サービス開始から約1年3ヶ月後に無料キャンペーンを終了し、手数料30%の徴収を開始した。しかし、この時点での求人在庫の密度は十分ではなかった。事業者から見れば「人が集まらないのに手数料を取られる」状態であり、掲載を取りやめる施設が続出した。

 これがさらに在庫を減らし、ワーカーの離脱を加速させるという負のスパイラルを生んだ。

 Timeeは「充足率90%超え」まで無料(募集枠10人に対して9人しか集まらなかった場合、Timeeへの手数料は無料に)、または低額でのサービス提供を続けた。

 それとは対照的に、メルカリ ハロは市場が成熟する前に収益化を急ぎすぎたのである。

「他社がやっているから自分たちも始めよう」は、
失敗する

 これらの事例に共通するのは、「多くの人から見て良いアイデア」であったことと、「競合他社がやっていたので自分たちも始めよう」という発想が見え隠れすること。

 課題やソリューションの深掘りが足りずに拡大をしてしまったことだ。

 図表1-1-5のようにエンド・トゥ・エンド(最初から最後まで)のバリューチェーンで捉えてみると、その事業が自社の能力とフィットしているか、していないのかが明確になる。

 さらにプログラムにおけるリーダーシップの欠如もあったことに加え、既存事業とのバランスや短期的な収益性を重視した意思決定プロセスが背景にあった。

簡単な道を選ぶことは、結果として遠回りになる

長持ちするモバイルバッテリーを開発することは、誰から見ても優れたアイデアである。したがって優れたスタートアップのアイデアではない

 これは、X(旧Twitter)やMetaにいち早く投資したアメリカ有数のVC(ベンチャーキャピタル)、アンドリーセン・ホロウィッツでパートナーを務めるクリス・ディクソン氏が、スタートアップが持つべきアイデアに関してY Combinatorで講演した際のアドバイスである。

 確実な儲け話の発想では、最大公約数的な「誰が聞いても良いアイデア」以外の選択肢はない。

 OpenAIのCEOであるサム・アルトマン氏は、スタンフォード大学の講演で「スタートアップではハード(困難)なことをするほうが実は近道である。簡単な道を選ぶことは結果として遠回りになる」と語っている。

 楽して成功を収めたスタートアップなど、この世には存在しない。

 “スタートアップではハードなことをするほうが実は近道である。
 簡単な道を選ぶことは結果として遠回りになる”
 サム・アルトマン OpenAI, CEO

(本稿は増補改訂版 起業の科学 スタートアップサイエンスVer.2の一部を抜粋・編集したものです)

田所雅之(たどころ・まさゆき)
株式会社ユニコーンファーム 代表取締役CEO
1978年生まれ。大学を卒業後、外資系のコンサルティングファームに入社し、経営戦略コンサルティングなどに従事。独立後は、日本で企業向け研修会社と経営コンサルティング会社、エドテック(教育技術)のスタートアップの3社、米国でECプラットフォームのスタートアップを起業し、シリコンバレーで活動した。
日本に帰国後、米国シリコンバレーのベンチャーキャピタルのベンチャーパートナーを務めた。また、欧州最大級のスタートアップイベントのアジア版、Pioneers Asiaなどで、スライド資料やプレゼンなどを基に世界各地のスタートアップ約1500社の評価を行ってきた。これまで日本とシリコンバレーのスタートアップ数十社の戦略アドバイザーやボードメンバーを務めてきた。
2017年、新たにスタートアップの支援会社ユニコーンファームを設立、代表取締役社長に就任。その経験を生かして作成したスライド集『スタートアップサイエンス2017』は全世界で約5万回シェアという大きな反響を呼んだ。
主な著書に『起業の科学』『入門 起業の科学』(以上、日経BP)、『起業大全』『「起業参謀」の戦略書』(ダイヤモンド社)など。