【解説】変化の過渡期を狙うマーケティングの妙

乱歩が『人間椅子』を発表した大正時代は、まさに日本人のライフスタイルが和式から洋式へと変化する過渡期でした。西洋家具に対する「未知への好奇心」と「わずかな違和感」を突いた本作の成功は、現代ビジネスにおける「パラダイムシフトの捉え方」に通じるものがあります。

新しいテクノロジーや生活習慣が普及する初期段階には、必ず人々の期待と不安が入り交じる社会的な「隙間」が生まれます。自社のサービスやプロダクトを、時代の変化のどのタイミングで、どのような文脈で世に問うか。乱歩の時代を読む鋭い嗅覚は、新規事業を仕掛ける上で大きなヒントになります。

一次情報がもたらす圧倒的な顧客解像度

また、椅子の中の職人が、視覚(容貌)ではなく「触覚」や「聴覚」といった生々しい感覚で人間を観察していた点も見逃せません。

私たちはビジネスの現場で、顧客を年齢や役職といった表面的なデータ(定量情報)だけで分類し、理解した気になりがちです。しかし、競合他社が持ち得ない独自の戦略を築くには、この職人のように「誰も取得していない一次情報」に自ら触れにいく姿勢が必要です。

机上の数字を追うだけでなく、現場に潜り込み、ユーザーの息遣いや些細な行動の癖を圧倒的な解像度で観察すること。異常なまでの執着心で描かれた非日常の物語からこそ、私たちが学ぶべき「真の顧客理解」の極意が見えてきます。

※本稿は、『ビジネスエリートのための 教養としての文豪(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。