ハイデイ日高創業者の神田正会長ハイデイ日高創業者の神田正会長 Photo by Teppei Hori

首都圏を中心に約470店舗を展開するハイデイ日高の創業者である神田正会長。その成功の軌跡をたどると、必ず「運」という言葉が出てくる。「私はものすごく運がいいのです」と、会長は屈託なく笑う。中学卒業後、15以上の職を転々とした「落ちこぼれ」だった青年が、いかにして東証プライム上場企業の創業者となったのか。(取材・構成/小倉健一)

学歴も、特別な才能もないのに
ここまで来られた「運のよさ」

 私は、本当に「ものすごく運がいい」のです。これはもう、昔からずっと思っています。何をやってもダメだった私が、ここまで来られたのですから。学歴もない、特別な才能もない。しかし、なぜかいつも大事な場面で人に助けられてきた。これが運じゃなくて何だというのでしょう。

 その「運」の原点はどこにあるのかと問われれば、それはラーメン屋さんを始める直前、私がパチプロのようなことをして日銭を稼いでいた時期にさかのぼるかもしれません。

 私が二十歳の頃のこと、ゴルフのレッスンプロになったことがあります。ゴルフ場でキャディーのバイトをしていたこともあり、知識だけはあったものですから、レッスンプロになれてしまった。

 ですがゴルフの経験はありませんから、お客様とコースに出れば下手なことはバレてしまいます。それでレッスンプロの仕事を辞めて、明日の生活をどうしようかという、本当にせっぱ詰まった状況でした。

パチンコで学んだ
「なんとかなる」という運の入り口

 手っ取り早く現金が手に入るのは、もうパチンコしかなかったのです。当時のパチンコ台はまだ人が後ろで調整していた時代でしたから、何日か通ううちに、「どの台が出るか」という勘が働くようになって、それで食べていけたのです。

 もちろん不安だらけでした。しかし、不思議なもので、そういう土壇場の状況にいると、「なんとかなる」と思えるようになってくるのです。何の仕事をすればいいか、将来どうなるか、まったく分からなくても、とにかく今日を生き抜くために何かしらやっていけば道は開けるんじゃないか、と。

 この「なんとかなる」という前向きな気持ちが、もしかしたら運を呼び込む最初の入り口だったのかもしれません。

挨拶もろくにしない私の
保証人になってくれた本当の理由

 最初の大きな「運」は、やはりラーメン店創業時の資金です。私が26歳頃のこと、埼玉県岩槻市(現さいたま市)のラーメン屋で働いていたのですが、その店が1年ほどで閉まることになった。私は「もうラーメンはやめて、板前にでもなろうか」なんて考えていた矢先です。

 その店の家主さんが、いきなり私に「店をやらないか」と声をかけてくれた。もちろん私には現金など一銭もありません。「任せられてもできません」と言うしかないのです。

 すると驚いたことに、家主さんが「私が保証人になる」と言って、銀行から100万円を借りる手助けをしてくれたのです。ラーメンが1杯60円の時代です。今の価値で言えば、600万か700万円ぐらいの大金でしょう。それを、どこの風来坊かわからないような私に、ポンと出してくれるというのです。