ななつ星in九州ななつ星in九州 Photo:PIXTA

「上場どころか、いったいいつまで保つだろうか」――。1987年の国鉄分割民営化で発足したJR九州を取り巻いていたのは、そんな厳しい見方だった。赤字ローカル線を多く抱え、鉄道以外の収益基盤もほとんどない。会社の将来を不安視する声が絶えないなか、それでも社員たちは夢を捨てなかった。後の株式上場や九州新幹線全線開業へとつながった原動力は何だったのか。JR九州元社長の唐池恒二氏が、逆境の時代を振り返る。※本稿は、JR九州相談役の唐池恒二『夢みる勇気』(リベラル社)の一部を抜粋・編集したものです。

逆境そのものだった
JR九州発足当時の経営状況

 2008年から16年間熊本県知事を務められた蒲島郁夫さんには、ほんとうに多くのことを教わりました。

 蒲島さんは、熊本県の農村で貧しい農家の8番目の子として生まれました。

 小学生から高校3年まで毎朝、兄や姉らとともに新聞配達をして家計を支えました。高校を卒業し地元の農協に就職。2年間働いたあと一念発起して農業研修生として渡米しました。米国の牧場で蒲島さんの言う「農奴のような」過酷な労働に耐えながら、勉学の喜びに目覚めます。厳しい環境の中でも苦学を続け、ネブラスカ大学農学部にみごと合格しました。

 同大卒業後、少年時代に描いた「政治家になる」という夢をかなえようとハーバード大学大学院政治学科に進みます。猛烈な勉強の末、最高の学府でそれも優秀な成績で博士号を取得しました。その後、東京大学教授などを経て2008年に熊本県知事に初当選されました。

 蒲島さんは、逆境を乗り越え頂点に立ったのです。もちろん、蒲島さん自身の並外れた才能と血のにじむような努力があったればこそ成しえたものですが、もうひとつ鍵になったのが「夢」です。