心理学・感情の科学、そして経営学において、いま大きな注目を集めている「AWE(オー)」という概念があります。その世界的権威、ダッカー・ケルトナー(カリフォルニア大学バークレー校教授)による解説書『Awe: The New Science of Everyday Wonder and How It Can Transform Your Life』は、アダム・グラント、スティーブン・ピンカーというアメリカの知性を代表する2人も絶賛する決定版的な1冊です。
その日本語版となる『AWE 心と人生を変える力』が、ついに発売されました。翻訳を担ったのは、マッキンゼー・アンド・カンパニーやハーバード・ビジネス・スクール等を経て現在は華道家として活躍する山崎繭加氏と、世界経済フォーラムのヤング・グローバル・リーダーにも選出された僧侶の松本紹圭氏です。経営・アート・宗教のバックグラウンドを持つ2人が、「AWE」の本質が日本の読者に伝わるよう、力を尽くしてくれました。
この連載では同書に関連するコンテンツを公開して「AWE」の秘密を紐解いていきます。今回は同書より、山崎繭加氏による「訳者まえがき」をお届けします。

森の狐Photo: Adobe Stock

センス・オブ・ワンダー

 最初は小さなサイン(兆し)でした。

 2021年の夏。ハーバード・ビジネス・レビュー(HBR)オンラインで「とりわけ今『センス・オブ・ワンダー』を大切にすべき理由」(“Why You Need to Protect Sense of Wonder - Especially Now”)という記事が目に入りました。はっとしました。

 なぜはっとしたかというと、HBRというビジネスリーダー向けのメディアに「センス・オブ・ワンダー」という言葉が出てきたからです。私はもともと、地球環境問題に警鐘を鳴らした『沈黙の春』の著者であるレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』という本を愛読していました。センス・オブ・ワンダーとは、日常の中に特別を見出す感性、子どもの目と感覚で世界とつながり遊ぶことを意味します。カーソンが甥っ子のロジャーと一緒に海辺や森を歩く様子を綴ったこのエッセイを人生のいろいろなタイミングで読み返しては、花を摘んだり落ち葉を集めたりするのが好きだった自分の子ども時代、つまり自分自身に戻れる感覚を味わっていました。HBRのこの記事のタイトルを見た時、自分が個人の世界の中でずっと大切にしてきたことが、私も仕事として関わっているビジネスリーダーが読むHBRで語られているということに自分へのサイン、メッセージのようなものを感じたのです。

 2020年3月に東京から軽井沢に移住、それとほぼ同じタイミングで新型コロナウィルスのパンデミックが始まったこともあり、軽井沢の外にはほぼ出ずに、厳しくも美しい自然と静けさと共にまるでカーソンのような日々を送っていました。長い冬の終わりを知らせる春の使者フキノトウ、色とりどりの夏のきのこ、燃えるような秋の紅葉、赤く焼ける冠雪した浅間山……外を歩けばそこかしこにある美しい神秘に出逢い、それによって自分の心も落ち着き豊かになる、という実感を持っていました。意図せずして『センス・オブ・ワンダー』に書かれていることを実践するような生活を送るようになり、それが自分の心と体をよい方向にじわじわと変えてくれているのを体感していたのです。だからこそ、それがタイトルとなったHBRの記事に、大きく反応したのだと思います。

AWE(オー)との出逢い

 記事を読んでみると、タイトルには「センス・オブ・ワンダー」とありましたが、中身はAWE(オー)についてでした。日本語では「畏敬の念」と訳されることが多いAWEは、記事の中では、雄大な自然、人の大きな勇気や親切など「簡単には説明できない強力な何かに出逢った時に感じる驚異・驚嘆」と定義されていました。そして、AWEを感じると心の中のノイズや不安が小さくなり、他の人とつながり助けたいという思いが増し、人生の満足感、ウェルビーイングも高まる。ストレスが下がり、創造性・イノベーションが増して、科学的な思考と倫理的な意思決定が促される。加えて、人間関係の構築にもつながる、というこれまで研究で実証されてきたAWEが人間にもたらす様々なポジティブな影響がまとめられていました。

 この記事をきっかけに、その後AWEについて自分なりに調べ始めました。そして、AWE研究にはすでに20年以上の歴史があること、現代のAWE研究の祖とも言えるのが、カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)心理学教授のダッカー・ケルトナーである、ということを知りました。彼の2003年の共著論文「AWEを倫理的・精神的・審美的感情として捉える」によって、これまで宗教や文化の領域でのみ表現されてきたAWEが、科学の場で研究され語られるきっかけになったのです。そして、ケルトナー教授はAWEを「私たちが自分の理解を超えた広大な神秘に遭遇した時に経験する感情」だと定義し、AWEという感情が人の心身や人間関係にもたらす様々な影響について多くの共同研究者らと科学的に実証してきました。そして、働く人たちのウェルビーイング、人間関係の改善という観点からAWE研究が経営学の研究とも重なり、ビジネスの分野でも語られ始めていることにも気づきました。HBR本誌(2023年1-2月号)でも、HBRの編集者がAWEについて紹介した“The Power of Everyday AWE(日常の中のAWEの力)”という記事が出ています。

 私個人としても、AWEというものの圧倒的な普遍性、人にもたらすポジティブな影響について日本でも伝えたいと思うようになり、AWEについてのオンライン勉強会を開く、自身の講演やワークショップにAWEの話を入れる、といったこともささやかながら始めていました。そして、2023年1月に、ケルトナー教授が、彼の20年以上にわたるAWE研究の集大成としてAWE : The New Science of Everyday Wonder and How It Can Transform Your Lifeを出版したことを知ります。勝手にAWEとケルトナー教授の「推し」活動をしていた自分が訳したいと強く願い、その後様々なご縁のおかげで、翻訳をさせていただくことが決まりました。

 自分の人生の大切なテーマだった「センス・オブ・ワンダー」という言葉がタイトルに入っていたHBRの記事がサインとなり、AWE研究について調べるようになり、ケルトナー教授のことを知りました。しかもちょうどそのタイミングで彼の人生の全てがつまったようなAWEの本が出て、それを自分が訳し、かつ仏教そして西洋と東洋の間の橋渡しについて深い叡智を持つ僧侶の松本紹圭さんに共訳者として入っていただくという幸運にも恵まれ、こうして日本語版が出版されることになりました。この一連の流れそのものが「自分の理解を超えた広大な神秘」であり、AWEそのものだったように感じています。

日常の中にあるAWE(オー)

 なお、センス・オブ・ワンダーとAWE(オー)の関係や違いについては、HBRの記事などには特に言及がなく、そのままうやむやになっていたのですが、本書を読む中で自分なりの整理ができました。ケルトナー教授のAWEの定義は「私たちが自分の理解を超えた広大な神秘に遭遇した時に経験する感情」ですが、こうした大きなAWEは自分から喚起できるものではありません。一方、本書の中でケルトナー教授は、日々の生活で遭遇する「日常の中のAWE(everyday awe)」があると言っています。そしてこの小さなAWEは、例えば1日20分、初めて見るような気持ちでまわりを眺めながら散歩をする(AWE散歩)など、自分の意識や行動を少し変えるだけで、自分のまわりに発見し感じることができます。これこそ、日常の中に特別を見出す感性、すなわちセンス・オブ・ワンダーなのではないかと思います。AWEとは自分を超える大きな何かとつながることであり、そこにはあちら側から予期せぬ時にやってくる大きなAWEもあれば、センス・オブ・ワンダーを持つことで自分からつながることができる小さなAWEもあるということです。

 私は経営コンサルティング会社やハーバード・ビジネス・スクール(ハーバード大学経営学大学院)で働いた後、華道家として独立、いけばなで培われる身体性や心のあり方を経営の世界に伝えることを理念とした「IKERU」を立ち上げました。その根底には、論理・分析的思考に加えて、直感や感性、言葉では説明できない身体的な感覚が大切にされたら、働く人たちがより本来の力を発揮でき、新しいものももっと生まれるようになるのではないか、という願いのような仮説がありました。その仮説は、これまで8年以上にわたり、様々な国内外のビジネスリーダーらにいけばなの研修を提供する中で、だんだんと確信に変わってきていましたが、本書によってさらに力を得たと感じています。「花の声を聴き、花をいかす」といういけばなの行為はまさにセンス・オブ・ワンダーを開き、小さな日常の中のAWEにつながる経験でもあるからです。本書が出ることで、AWEという論理や分析では説明できない圧倒的な心と体の感覚の大切さが、ビジネスの世界でもっと伝わっていくことを願っています。

AWE(オー)は世界の神秘と私たちをつなぐ橋

 ケルトナー教授は、AWE(オー)は感情であると定義し心理学者として研究をしてきましたが、弟ロルフの死という個人的な経験を経て、AWEが研究対象を超えた存在だと気づいていったことが本書から読み取れます。本書の最終章で、彼はAWEの真の目的は「私たちを命のシステムに統合する」ことだと書いています。AWEが喚起されると、自分は他者や世界とは独立したものであるという自己意識がほどけ「自己よりはるかに大きなたくさんの物事の一部であることを理解」します。

 私たちも本書を通じてケルトナー教授の研究と人生の旅を共に歩くうちに、AWEが、研究の対象の感情という定義では収まらない、私たちを私たちもその一部である広大な世界とその神秘をつなぐ橋、ガイドだということを理解していきます。

 AWEを見つけよう。

 本書を導き役として、みなさまとAWEを探し見つける旅をご一緒できたらうれしいです。