関ヶ原で東軍へ~300石から20万石へ大出世

 豊臣秀吉の死後、天下は再び動きます。関ヶ原の戦いにおいて、高虎は東軍、すなわち徳川家康側につきました。これには、過去の縁が影響していたと考えられます。

 戦後、高虎は大幅な加増を受け、ついに20万石の大名へ昇りました。300石からの出発を思えば、まさに破格の出世といえるでしょう。

羽柴長秀に仕えてからの藤堂高虎 (C)かしまし歴史チャンネル羽柴長秀に仕えてからの藤堂高虎 (C)かしまし歴史チャンネル

城づくりで時代を変えた男~「層塔型天守」の祖

 高虎は築城技術でも革新をもたらしました。代表例が、今治城で採用した「層塔型天守」です。従来の望楼型に比べて構造が安定し、コストや工期の面でも優れており、その後の城郭建築の主流となりました。

 また、直線的で堅牢な石垣も彼の築城の特徴で、防御性の高さが評価されています。加藤清正の曲線的な石垣と対比されることも多く、戦国築城技術の二大潮流ともいえます。

藤堂高虎が造った愛媛の今治城 (C)かしまし歴史チャンネル藤堂高虎が造った愛媛の今治城 (C)かしまし歴史チャンネル