第二の人生で地道に働く、セカンドキャリアへと漕ぎ出すなら、少しでも早い方が良い。辞める、諦めるというのは、パッとせぬ芸人にとって、「年金」のような役割を果たしていると思うのだ。
年齢を重ねたところで急に
“大した人間”になるわけではない
30歳や40歳が、キャリアの節目として扱われることが多いのは、今も昔も同じだ。
誰しも、なんとなく根拠も無しに、「40歳ごろになれば、自分もある程度の結果を残し、収入や地位も安定するだろう」つまりは「一廉の人物」になっていることを漠然と想像している。
筆者自身、「何か分かっている」人間に「なっている」と想像していたが、現実にはそうでもない。小学生の頃に、自分が50歳になっても一発屋のキャラ芸人などと揶揄されているとは夢にも考えていなかった。
だが、思えば我々は、中学生になったら高校生が大人に見え、20代の頃は30代が大人に見えてきたのだ。到来していない人生のステージに対して、無闇やたらに憧れを募らせる。これは何も筆者の世代に限ったことではなく、人間全員の「あるある」なのではないだろうか。
小学生の頃に、制服を着た中学生が格好良く見えたあの目線。その憧れと、「40代は結果を出している」という思いは重なって見える。
そう考えれば、40代になったからといって急に大した人間になるわけではないし、50代、60代になったとて、ろくでもない人はろくでもない人のままなのだ。
平均寿命が30歳そこそこだった戦国時代なら、村の長老60歳の言葉から、過酷な環境を生き抜いてきた知恵、処世術など学ぶべきところは多かっただろう。
しかしながら、「人生100年」なるフレーズが飛び交う現代社会。「そんなに時間があっても、やること無いわ……」と途方に暮れる無趣味の人間、即ち筆者からすると、とにかく、どいつもこいつも基本長生きである。
自分の知り合いや同僚、かつての同級生を思い浮かべてみよう。
「コイツ、ダメだな~……」と呆れてしまう彼、どうしようもない彼女も、いずれは年をとり、100近くまで生きることになるわけだ。重ねた年齢は、リスペクトを受けるに足る、知識や経験、賢さのパラメーターにはなり得ない。







