お笑い芸人の山田ルイ53世 Photo:SANKEI
「成功するためには努力が不可欠」と言われて否定する人は少ないだろう。しかし、芸人・山田ルイ53世は、自身のキャリアを振り返り「計画的な努力などしていない」と語る。それでは、どのようにして芸能界で生き残ってきたのだろうか?※本稿は、芸人の山田ルイ53世『僕たちにはキラキラ生きる義務などない』(大和書房)の一部を抜粋・編集したものです。
芸人を続けるために
どんな努力をしてきたのか
筆者のような一発屋でも、インタビュー、取材を受ける機会はあって、勿論それ自体はスターでもないのに有難いのだが、
「芸人を続けるために、努力していることはありますか」
「普段から何か心がけていることはありますか」
などと真顔で尋ねられると、どうにも困ってしまう。そのたびに、自分がこれまでしてきた努力にどんなものがあるか、一応半生を振り返ってみるのだが、
(……あれ?)
さして思い当たらず愕然とし、自ら震える始末だ。
中学受験に挑戦したとか、芸人として身を立てるべく奮闘した日々は、「努力」と呼べるかもしれぬが、筆者の場合、そのどれもが「一発」で終わっているため、「あの経験が、現在の栄光の礎です」とサクセスストーリーに結びつけることは到底できない。
努力していたというよりも、溺れて藁を掴もうと足掻いていたというのが実際のところだ。
髭男爵が「乾杯漫才」に
辿り着くまでも右往左往
そもそも貴族の漫才師“髭男爵”が生まれた経緯がそうだった。
『笑いの金メダルJr.』(テレビ朝日)という深夜番組に出演した際、MCのくりぃむしちゅー上田氏に、
「お前ら、髭男爵って名乗ってるのに、『髭』でも『男爵』でもねぇじゃねーか!」
とイジられた。







