キーワードを入力すれば答えが返ってくる。便利な時代になった一方で、私たちは「考える力」をどこかに置き忘れてはいないか。200年前の哲学者の批判が、今この時代にこそ響く。
IVEチャン・ウォニョン氏や俳優ハ・ソクジン氏の愛読書と話題となり、韓国で262刷、60万部を超え、「哲学ブーム」の火付け役となった書籍『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』から人生のヒントを探る。

「考えること」をAI任せにして「頭がいい」と勘違いする人の特徴

「自分が考えた」と錯覚しやすい

情報を集めることは、かつてないほど簡単になった。
検索すれば答えが出て、AIに聞けば要約まで返ってくる。
しかし、情報を受け取ることと、自分の頭で考えることは、まったく別の行為だ。

知識は増えても、洞察は深まらない――
そんな状況は、実は200年前のドイツにも存在していた。
ショーペンハウアーが生きた時代の学校は、哲学よりもお金になる知識を優先して教えていた。
その批判は、形を変えて現代にも当てはまる。

ショーペンハウアーが見た「知識だけを求める誤った世相」

近年、発達した人工知能に私たちは思考することまで任せてしまっている。キーワードをいくつか入力すれば、要約された情報を吐き出し、解決策まで教えてくれる。便利ではあるが、人間の独自の思考力は失われる。
過去のドイツや、今日の韓国でも、洞察なしに知識だけを得ようとするのは変わりないようだ。ショーペンハウアーが生きていた時代の学校は、哲学を教えるよりも、お金になる知識を教えていた。名声と見栄えのために適当に要約された内容だけを暗記し、頭のよいふりをする誤った世相を、ショーペンハウアーは批判している。

「名声と見栄えのために、要約された知識だけを暗記する」――
この批判は、SNSでわかりやすくまとめられた情報を共有し合う現代の姿とも、どこか重なって見える。
知っているふりをすることと、本当に理解することの間には、大きな溝がある。

AIが答えを出してくれるとき、私たちはその答えを「自分が考えた」と錯覚しやすい。
しかし実際には、考えるプロセスを外部に委託しているだけだ。
その習慣が積み重なると、自分自身の思考の筋肉は少しずつ衰えていく。

「考える力」を手放さないために

これはAIや便利なツールを使うな、という話ではない。
ショーペンハウアーが問うているのは、知識を得た後に「自分はどう考えるか」を問い続けているか、ということだ。

情報を受け取ったとき、「これは本当にそうなのか」「自分はどう思うか」と一度立ち止まること。
その小さな習慣が、洞察と知識の間の溝を埋めていく。
200年前の哲学者の言葉が今も色褪せないのは、人間の本質的な課題が変わっていないからかもしれない。

今日から試すなら、AIや検索の答えを受け取った後に「自分はどう思うか」とひとこと考える習慣を持つだけでいい。

(本記事は『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに作成しました)