SNSの「いいね」やフォロワーの数、四半期ごとに下される人事評価――私たちは知らぬ間に、自分の働きの値打ちをそうした数字で測ってはいないだろうか。半世紀以上にわたり読み継がれてきた名著『経営者の条件』をひもとけば、「成果」という言葉の意味をあらためて問い直してみることができる。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー 成果は組織の外

「いいね」で自分を測る時代

「いいね」の数、フォロワーの増減、四半期ごとの人事評価。画面の中でも職場でも、自分の働きや存在が点数に変えられていく。数字が伸びれば誇らしく、伸び悩めば、わけもなく落ち着かない。

 気づけば私たちは、その数字こそが自分の価値であるかのように感じてしまう。通知が鳴るたびに気分は上下し、反応の薄い投稿には肩を落とす。他者からの承認が、まるで通貨のようにやり取りされる場面は、いまや暮らしのあちこちにある。

 だが、ここで一度立ち止まりたい。承認の量と仕事の成果は、本当に等しいものなのだろうか。フォロワーが多い人ほど大きな価値を生んでいる、と即座には言えないはずだ。じつはこの問いの核心を、半世紀以上も前に突いていた人物がいる。経営学者ピーター・ドラッカーである。

成果はすべて組織の外にある

 ドラッカーは本書で、組織に働く者を取り囲む「自分では動かせない四つの現実」を挙げている。そのひとつが、人は組織の内側をもっとも身近な世界として感じ、外の世界を見失いやすいという現実だ。

 社内の評価、部署の人間関係、内輪で交わされる噂――目の前にあるのは、いつも内側の景色である。しかしドラッカーは、肝心なものはそこにはないと言い切る。本書には、こう書かれている。

組織の中に成果は存在しない。すべての成果は外にある。企業の場合、顧客が製品やサービスを購入し、企業の努力とコストを収入と利益に変えてくれるからこそ、組織としての成果がある。

――『経営者の条件』より

 つまり成果とは外への貢献であって、組織の内側で受け取る評価そのものではない。顧客や社会という「外」に何かを届けて初めて、私たちの仕事は成果と呼べるものになるというわけだ。

社内評価とMBOの形骸化

 この視点は、SNSの数字に限った話ではない。社内に目を移すと、まったく同じ構造が見えてくる。

 本来は仕事の中身を高めるためにあるはずの人事評価が、いつしか「高い点を取ること」そのものを目的にしてしまう。上司に良く見られるための社内資料づくりや根回しに時間が溶けていく――そんな経験は、多くの人に覚えがあるだろう。これは承認の通貨が社内に移っただけで、SNSと構造はまったく同じなのではないだろうか。

 ドラッカーも本書で、仕事の価値の測り方についてこう述べている。

知識労働は量によって規定されるものではない。コストによって規定されるものでもない。成果によって規定されるものである。

――『経営者の条件』より

 ただし、ひとつ誤解してはならないことがある。目標管理(MBO)――働く人が自ら目標を立て、その達成度で自分の仕事を管理する手法――は、もともとドラッカーが自己管理の道具として提唱したものだ。上から点数をつけて選別するための仕掛けではない。それが形骸化して「評価のための評価」に変質したとき、はじめて承認の通貨へと姿を変えてしまうのだろう。

承認ではなく貢献に向き直す

 では、承認の数字から自由になるには、どうすればよいのか。ドラッカーが本書で示す出発点は、驚くほど明快だ。「期待されている成果は何か」という問いから始めよ、というのである。

 自分はいま、外の誰に、どんな価値を届けているのか。その一点に立ち返るとき、「いいね」の数も評価シートの点数も、貢献の途中経過を映す影にすぎないと気づくはずだ。

 もちろん、承認を求める気持ちそのものが悪いわけではない。数字は時に励みにもなる。ドラッカーが促しているのは、承認を成果と取り違えないという、ささやかだが確かな視点の置き換えなのだろう。

 いますぐ評価を変える魔法はない。それでも、外の世界へ向けて自分の仕事を差し出す――その地道な問い直しの積み重ねこそが、私たちの働き方を静かに支えてくれるのではないだろうか。

*この記事は、『経営者の条件』をベースに、独自の視点を入れて書き下ろしたものです。