勝った感じがないというのは、旅の中心に自分がいないからだ。自分から動かないと、記憶にも残りにくい。
困ったすえになんとかしてご飯にありつけたとか、どうにか寝床を確保できたとか、地元の人に紹介された風変りな店に入れただとか。そういう攻略法の一つひとつが、旅の醍醐味だったりする。
自分の頭と身体で、その日を成立させるゲームなのだと思う。そして、旅の「怖さ」も含めて喜びの一部になる。
怖いからこそ、無事に帰れたときに「今日、生き延びたな」みたいな手応えが残る。これが日常だと、なかなか起きない。
不自由さは希望を
再起動する装置である
お金で困り事をクリアしてしまうと、旅は一気につまらないものになる。
タクシーに乗れば目的地まで無事に送り届けてくれる。ホテルのスタッフが何不自由なくお世話をしてくれる。翻訳アプリで言いたいことはぜんぶ通じる。不自由さがないと、ただ異国の地を移動するだけの日常になり、刺激はなくなってしまう。
いまの日本について、満たされすぎて希望が生まれにくい国であるといった見方があるが、旅は不自由さを手に入れることで、希望を再起動する装置なのだ。
便利は、トラブルを回避してくれるが、自分の脳の仕事も奪ってしまう。
脳が仕事をしないと、思い出は残らない。結局、旅の記憶は「困ったところ」だけ色濃く上書きされていく。つまり、より困ったほうが勝ち、みたいな奇妙なゲームなのだ。
いまの時代、Googleのストリートビューを見れば、世界中の景色はタダで見られる。でも、風の匂いや、路地裏のいかがわしさや、地元の人たちの喧騒は、画面越しでは伝わらない。
脳に新しい刺激を加えるには、自分の身ひとつでその場に乗り込むのがもっとも手っ取り早い。
「移動距離とアイデアの量は比例する」という説があるが、あながちウソではないと思っている。日常のルーティンから強制的に引き剥がされることで、凝り固まった思考がほぐれるからなのだろう。
目的地のない人生に
最短ルートは存在しない
人生は長い旅のようなものだ。
目的地なんてないし、どこにたどり着くかもわからない。正解のルートもない。だったら、迷子になることも含めて、そのプロセスを楽しんだほうがお得だ。







