米ワシントンの国際通貨基金(IMF)本部ビル。黒田東彦氏が勤務していた時代には、国際通貨制度の激変のほか、年金破綻の問題にも直面していた米ワシントンの国際通貨基金(IMF)本部ビル。黒田東彦氏が勤務していた時代には、国際通貨制度の激変のほか、年金破綻の問題にも直面していた Photo:Barry Winiker/gettyimages

海外勤務は知見や人脈を広げる好機である。前日本銀行総裁の黒田東彦氏が執筆するダイヤモンド・オンラインの連載『黒田東彦の世界と経済の読み解き方』の今回のテーマは、「海外勤務の意義」。黒田氏が国際通貨基金(IMF)の勤務で実感した国際機関職員の地位と、培った人脈とは?

固定相場から変動相場に移行
国際通貨制度の激変期にIMFへ

 前回の寄稿では、地方勤務の意義について解説した(『黒田東彦が振り返る「地方勤務の意義」、いわき税務署長・三重県庁・大阪国税局長の思い出』参照)。

 企業や役所では、本社や本省で採用された後、海外勤務を経験することがある。

 特に銀行や商社の場合は、海外との取引も多く、支店や支社を海外に持っているため、海外勤務を経験する機会が多い。また役所でも、外務省に務めれば、在外公館勤務を当然のように経験するし、財務省や経済産業省などの経済官庁でも一度は海外勤務する機会があるようだ。

 かくいう私も、大蔵省(現財務省)で勤務した35年半で、1度だけ海外勤務をした。それは、1975~78年に米国の首都ワシントンに本部を置く国際通貨基金(IMF)勤務だったが、日本では体験できないような経験をした。

 当時のIMFはさまざまな課題、困難に直面していた。47年3月のIMF業務開始以来、一貫して続いていたブレトンウッズ体制(ドルの金兌換とそのようなドルとの固定相場による金ドル本位制と固定相場制)が、71年8月のニクソンショック(ドル金兌換停止)によって崩壊。同年12月のスミソニアン体制による固定相場制も73年春に崩壊して、国際通貨制度は、いわば規律なき変動相場制に陥っていた。

 そこで、76年1月にジャマイカで開催されたIMF暫定委員会(現在のIMF国際通貨金融委員会の前身の大臣級会議であり、日本代表は大平正芳大蔵大臣<当時>)において、金の公定価格を廃止し、通貨のフロート(変動)を公認するとともに、切り下げ競争に陥らないよう、各国の為替政策を監視することが合意された。私は、IMF日本理事室の理事補として、当時の川口嘉一理事や若月三喜雄理事代理と共に、この会議に参加した。

 このジャマイカ合意に従って、76年1月から、IMF理事会でIMF協定の改正が議題になったのだが、議論は難航した。IMFの基本となっていたブレトンウッズ体制を変革するものだったため、IMF協定の第1条から逐条の改正を論議したのだが、特に、為替相場制度に関する第4条の議論が混迷を極めた。