ひろゆき氏 写真提供:徳間書店
推しのイベントに参加したい。起業に挑戦したい。好きな人に告白したい――。そう思いながらも、「恥ずかしいからやめておこう」と一歩を踏み出せない人は少なくない。実業家のひろゆき氏は、「恥」という感情の正体を「危険を知らせるアラート」だと説明する。なぜ日本人はこれほどまでに他人の目や世間体を気にしてしまうのか。そして、「恥ずかしい」という感情とどう付き合えば、人生の選択肢を広げられるのか。※本稿は、実業家のひろゆき(西村博之)『人生の正体 生きること、死ぬこと』(徳間書店)の一部を抜粋・編集したものです。
恥の感情は「危険」を
知らせるアラート
「恥」という感情について考えてみたい。
辞書を引くと「面目を失うこと」「名誉を傷つけられること」といった説明が出てくる。でもそれは恥の本質ではない。
僕の定義はこうだ。
【恥(はじ)】自分が所属するコミュニティのルールを破ったときに発生するアラート機能。
たとえば、裸で外を出歩くのは恥ずかしい。
それはいまの日本社会に「外出するときは服を着なければならない」というルールがあるからだ。
でも、アマゾンの奥地にある裸族の村に行ったら、服を着ているほうが周囲から白い目で見られる。恥ずかしい思いをする。
つまり、恥は絶対的なものではなく、置かれた環境によっていくらでも変わる相対的な感情なのだ。
文化人類学者のルース・ベネディクト(1887~1948=米国)は著書『菊と刀』(初版1946年)のなかで、欧米の価値観がキリスト教の影響による「『罪』の文化」に根ざすのに対して、日本は「『恥』の文化」が広く浸透しているのだと見なしている。
内面的な良心よりも、「他人の目」や「世間体」を気にする空気が蔓延しているということなのだろう。







