多くの人は、「最短ルート」を探そうとする。できれば失敗せずに、できれば遠回りせずに、できれば恥もかかずに──と。

 でも、そもそも目的地が決まっていない旅で「最短」って何なんだろう。ゴールが曖昧なまま、最短距離だけ真面目に走っても、息が切れるだけだ。

 地図を持たずに、気の向くままに歩いてみる。知らない道を曲がってみる。ちょっと怪しい店に入ってみる。

 行き止まりの道に迷い込んだら、引き返せばいい。別にそれは負けじゃない。単に「この道は抜け道じゃなかった」というデータが一つ増えただけだ。人生の多くの失敗は、だいたいこの程度の話で済む。

 むしろ、迷子になったときのほうが景色はよく見えるからおもしろい。

 予定どおりに進んでいると、人は前だけを見て、周りを見ない。効率的に動けている気はするけど、記憶にはとどまりにくい。

 一方で、迷子になると、その場で一度立ち止まる。そして考える。行き交う人に声をかける。ちょっと焦る。少し恥ずかしい。だから印象が強くなる。

 旅の思い出が色濃くなるのは、だいたい予定がなし崩しになった瞬間だったりするのだ。

エラーゼロの人生を目指すと
どこにも行けなくなる

 もちろん、迷子にならないほうがラクな日もある。毎日が冒険だと疲れる。

 ただ、人生のすべてを「エラーゼロ」で押し通そうとすると、今度は別のエラーが出るものだ。自分のやりたいことより、失敗しないことが優先されて、気づいたら行動範囲がどんどん狭くなる。安全運転を続けた結果、どこにも行けなくなるわけだ。

 だから、迷子を前提にしておく。迷子になってもいい、と最初から思っておく。

『人生の正体 生きること、死ぬこと』書影人生の正体 生きること、死ぬこと』(ひろゆき(西村博之)、徳間書店)

 そうすると、変な完璧主義が剥がれるし、たまたま起きたトラブルも「イベント」に変換できる。旅のトラブルが笑い話になるのと同じで、人生のトラブルも、時間と距離を置くとネタになる。

 それが「人生の正体」なんじゃないかと、僕は密かに思っている。

 人生は、最後に正解を言い当てるためのゲームではない。迷子になりながらもこつこつデータを積み増していき、いかに自分なりに「余白」を楽しむことができるかを突き詰める長い旅だ。

 地図を握りしめて目的地にいかに早く到達するかを競うより、あえて迷い込むことがわかっている道を進んでみるのもたまにはいいものだ。あんがい人生を見つめ直すきっかけになるかもしれない。

 自分の現在地を知ることは、次の一歩を踏み出すうえでも確実にコスパはいいはずだから。