大富豪からの没落、教師に「暗吾」と蔑まれた悪ガキ――そんな数々の逆境から戦後社会を震撼させる文豪となった坂口安吾。彼の破天荒な生き様には、常識を覆すイノベーションの種と、理不尽な現実を唯一無二の「武器」に変えるしたたかさが詰まっています。先行き不透明な現代をタフに生き抜くビジネスパーソン必読! 安吾流「逆境を飼い慣らす力」の秘密に迫ります。

名家からの没落が「異端の天才」を生んだ? 坂口安吾に学ぶ、逆境を生き抜く力イラスト:塩井浩平
坂口安吾(さかぐち・あんご 1906~1955年)
新潟生まれ。本名・坂口炳五(へいご)。東洋大学大学部印度哲学倫理学科(現・東洋大学文学部東洋思想文化学科)卒。代表作は『白痴』『堕落論』『桜の森の満開の下』など。坂口家は江戸から続く旧家だったものの、祖父が投機に失敗。衆議院議員の父も残された財産を政治資金に使ってしまうなど、没落の過程で少年時代を過ごす。中学生のころから悟りの境地に至りたいと思い始め、大学ではインド哲学を専攻。昭和5(1930)年、大学卒業後友人たちと同人誌『言葉』を創刊したことを皮切りに、文学者を志す。昭和21(1946)年に発表した『堕落論』は戦後混乱期の社会に衝撃を与えた。意欲的に執筆活動を続けていたが、昭和30(1955)年に脳出血により48歳で急逝。

名家からの没落が「異端の天才」を生んだ?
坂口安吾に学ぶ、逆境を生き抜く力

激動の時代を生き抜き、現代にも多くのファンを持つ日本の文豪たち。彼らの生み出した作品だけでなく、その破天荒な生き様自体が、現代のビジネスパーソンにとって多くの学びを与えてくれます。中でも『堕落論』などで知られる坂口安吾は、非常に特異な存在です。

「落ちこぼれ」や「悪ガキ」こそが持つエネルギー
県内有数の富豪・名家からの没落人生

坂口安吾は、数多い文豪たちのなかでも極めて風変わりであり、「落ちこぼれの文豪」と言っても過言ではありません。そもそも安吾は、子どものころから悪ガキで、徹底的に反抗的な児童でした。
――『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』より

組織において「反抗的」であることは、しばしばネガティブに捉えられがちです。しかし、既存の枠組みに収まらない「悪ガキ」のエネルギーや反発心こそが、後に常識を覆すような革新的な発想(イノベーション)を生み出す原動力になります。

安吾の文学もまた、そうした強い反骨精神から育まれたものでした。

「絶対的な栄華」の崩壊を目の当たりにする経験

さらに、彼の生い立ちは平坦なものではありませんでした。

生まれは明治39(1906)年、父親は新潟県選出の衆議院議員でした。坂口家は古くから続く由緒ある旧家で、もともとは新潟有数の大富豪だった家系です。「阿賀野川の水が尽きても、坂口家の富は尽きない」と言われていたほどでしたが、投機などで失敗し、安吾の祖父の代から少しずつ、傾きかけていました。
――『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』より

「絶対に潰れない」と信じられていた大企業が、一夜にして窮地に陥る。これは現代のビジネスシーンでも決して珍しくない光景です。

安吾は幼少期から「絶対的な富や権力は存在しない」という厳しい現実を肌で感じていました。このシビアな原体験が、建前を嫌い、物事の本質を鋭く見抜く独自の洞察力を養ったと言えます。

逆境の原体験を自らの「武器」に変える

こうした坂口家没落の過程で育ったことが、安吾に大きな影響をもたらします。「安吾」というのはペンネームで、本名は「坂口炳五」といいますが、これは子どものころの出来事に由来しています。
――『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』より

「安吾」というペンネームは、中学時代に教師から「お前は自分を暗い(愚かな)人間だと思え」と叱責され、黒板に「暗吾」と書かれた出来事に由来すると言われています。普通の人間ならコンプレックスに感じるような挫折や没落の歴史を、彼は自らのアイデンティティとして受け入れ、力強い表現へと昇華させました。

自身の弱みや理不尽な環境から目を背けるのではなく、あえてそれを受け入れ、唯一無二の武器に変える。先行きが不透明な現代を生きる私たちにとっても、安吾のこうした「逆境を飼い慣らすしたたかさ」は、ビジネスの世界を強く生き抜くための大きなヒントになるのではないでしょうか。

※本稿は、『ビジネスエリートのための 教養としての文豪(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。