【世界史ミステリー】モンゴル帝国に「抵抗すると滅ぼされる」…100年で世界を制した”恐怖の情報戦”
モンゴル帝国といえば、馬を自在に操る最強の騎馬軍団を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、わずか100年ほどでユーラシアの広大な地域を制覇できた理由は、それだけでは説明できない。実は彼らは、相手に「抵抗しても無駄だ」と思わせる巧みな情報戦や心理戦を駆使し、戦う前から勝負を決めていた。世界史上でも異例のスピードで巨大帝国を築いたモンゴル帝国。その知られざる「本当の強さ」の秘密をひもとく。

【世界史ミステリー】モンゴル帝国に「抵抗すると滅ぼされる」…100年で世界を制した“恐怖の情報戦”Photo: Adobe Stock

モンゴル帝国に「抵抗すると滅ぼされる」…恐怖の情報戦とは?

 モンゴル帝国は、十三世紀のわずか百年ほどの間に、ユーラシアの広大な地域を制覇した。世界史の中でも、これほど急速に巨大な帝国を築いた存在は珍しい。では、なぜモンゴル帝国は、あれほどまでに領土を拡大することができたのか。

 一般に、モンゴル帝国の強さとしてよく語られるのは、騎馬民族としての戦い方である。馬を自在に操る機動力。遠距離を一気に移動する力。あるいは、補給の巧みさ。もちろん、それらは重要だった。しかし、代々木ゼミナール講師の伊藤敏先生は、それだけではモンゴル帝国の急拡大は説明できないと言う。

「やっぱり、馬の使い方をはじめとして、いわゆる征服の仕方というか、千戸制という部族制度がうまいというのと、あと最大の特徴は順応性が高いんですよね」

 モンゴル帝国の強さは、騎馬軍団の速さだけではなかった。人を組織する力、征服地を次の戦力に変える仕組み、相手の心理に働きかける情報戦、そして環境に合わせて戦い方を変える柔軟さ。それらが組み合わさったところに、本当の強さがあった。

 まず大きかったのが、千戸制と呼ばれる組織の仕組みである。千戸制とは、カアン、あるいはハーンと呼ばれる大君主を頂点として、人々を十進法で編成していく制度である。十、百、千、万という単位で人々を束ね、軍事的にも行政的にも動かしやすい集団にしていく。遊牧民の集団を、ただの部族の集まりではなく、命令系統の通った軍事組織として動かす仕組みだった。

「たとえば征服した地域の民族も、さっき言った千戸制みたいなものに束ねて、新たな軍事力を補充しながら次の土地を目指す、という形もできるので」

 この仕組みのすごさは、征服すればするほど、次の征服に向かう力を補充できた点にある。征服地の人々をただ支配するだけでなく、一定の単位に組み込み、新たな軍事力や労働力として活用していく。百人単位でまとめられ、それが十集まれば千になる。千になれば、独立した部隊として動かしやすくなる。

 つまりモンゴル帝国は、進めば進むほど消耗するだけの軍隊ではなかった。征服地を取り込みながら、次の戦いのための力を作り出していく軍事システムを持っていたのである。

 ただし、モンゴルの拡大を支えたのは、こうした組織力だけではなかった。戦う前に相手の心を折り、抵抗する意欲を失わせる。そうした心理戦、情報戦の巧みさも、モンゴル帝国の大きな武器だった。

「征服地の征服の仕方だとか、あと心理戦もうまいんですよね」

 たとえば、国境近くの大都市に対しては、徹底的な破壊を行うことがあった。それは単なる暴力ではなく、背後の都市に対する強烈なメッセージでもあった。

「国境近くの大都市は徹底的に破壊や殺戮をしていくんです。あえて」

 大都市が陥落した。滅ぼされた。そのニュースは、すぐに周辺の町へ伝わる。すると、次の町の人々は考える。抵抗すれば、自分たちも同じ目に遭うのではないか。そうして、戦う前から降伏しやすくなる。

「それだけの大都市が陥落した、滅ぼされたとなると、背後の町にもすぐニュースとして伝わるじゃないですか。そうすると、『いや、あんな目には遭いたくない』と言って、降伏しやすくなるんですよね」

 モンゴル帝国の急拡大は、単に強い軍隊が敵を倒し続けた結果ではない。相手に「抵抗しても無駄だ」と思わせることも、征服の重要な技術だった。戦わずして降伏させることができれば、兵力の消耗は少なくなる。都市や物資をそのまま利用できる場合もある。恐怖の伝播そのものが、次の征服を助ける武器になったのである。

「そういった情報戦だとか、そういう部分が、モンゴルの急拡大に一番貢献しているんじゃないかなと思いますね」

 さらに、モンゴル帝国の強さを考えるうえで欠かせないのが、環境への適応力である。よくモンゴル軍は、草原でこそ強い騎馬軍団だったと考えられる。たしかに、開けた草原では馬の機動力が最大限に発揮される。しかし、モンゴルの戦場は草原だけではなかった。東アジア、中央アジア、中東、東ヨーロッパ方面へと広がる中で、彼らはさまざまな地形や気候に直面した。

 モンゴル軍はポーランド方面にも攻め込み、ヨーロッパ世界に大きな衝撃を与えた。だが、大カアンの死をきっかけに撤退したため、ヨーロッパ全土を征服するには至らなかった。では、もし撤退がなければどうなっていたのか。伊藤先生は、こう見る。

「普通にヨーロッパ全土を征服していてもおかしくなかったと思いますね」

 もちろん、ヨーロッパにはヨーロッパ特有の地形がある。当時のヨーロッパには森林が広がっており、草原地帯で力を発揮する騎馬軍団にとって、必ずしも戦いやすい環境ではなかった。

「当時のヨーロッパは森林が結構広がっているので、森林だとか、そういった部分だと、やっぱり馬の機動力は削がれてしまいますから」

 それでも伊藤先生は、モンゴル軍がそれをどう克服したのか見てみたかったと言う。

「その辺を逆にモンゴル軍がどうやって克服していくのか、というところはちょっと見たかったというのはありますね。おそらく、それぐらいでどうこうなるような、やわな軍事力ではないので」

 この見方からもわかるように、モンゴル帝国の強さは、草原という環境だけに支えられていたわけではない。環境が変われば、戦い方も変える。移動の仕方も、補給の仕方も、使う動物も変える。そうした実践的な柔軟さがあった。

 実際、モンゴルは中東方面にも進出している。中東といえば、砂漠のイメージが強い。騎馬軍団にとって、砂漠は不利だったのではないかと思える。しかし、ここでもモンゴルは環境に応じた力を発揮した。

「モンゴルは五畜といって、五種類の家畜を使うんですよ。馬、牛、羊、山羊、そしてラクダなんですね」

 馬だけではない。牛、羊、山羊、そしてラクダ。環境に応じて家畜を使い分けることができたことも、モンゴルの強さにつながっていた。特にラクダは、中東や乾燥地帯では大きな力を発揮する。

「ラクダももちろん使います。ラクダ騎兵って、中東では結構よくあるんですよ」

 ラクダは、馬ほど速いわけではない。しかし、非常に頑健で、重い荷物を運ぶのにも適している。乾燥地帯にも強く、暑さだけでなく寒さにも耐えられる。つまり、さまざまな環境に応用しやすい動物だった。

「ラクダは、速度は実はそこまで速くはないですが、非常に頑健なので、重い荷物などを背負わせるのにも便利なんですよね」

 さらに、ラクダには意外な強みもある。匂いが強いため、馬がそれを嫌がることがあるという。

「ラクダって匂いが強いので、馬にぶち当たると、馬がその匂いにビビって逃げちゃうんですよ」

 モンゴル帝国は、馬だけで世界を制したわけではない。馬の機動力を最大限に活かしながら、必要に応じてラクダも使う。征服した地域の人々を組織に組み込み、相手の心理を読み、地形や気候に合わせて戦い方を変えていく。だからこそ、モンゴル帝国は短期間でユーラシアの広大な地域を制覇することができた。

 彼らの強さは、騎馬軍団の速さだけではない。千戸制による組織力、征服地を次の戦力に変える仕組み、恐怖を利用した情報戦、そして環境に合わせて変化する柔軟さ。それらが重なり合ったところに、世界史屈指の巨大帝国を生んだ本当の理由があったのである。

(本稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』著者へのインタビュー記事です)