「技術の進化が速すぎて、これからの長い人生をどう生き抜けば…」と途方に暮れていませんか。人生100年時代では「AIリテラシー」が必須教養です。本記事ではAIと人間の境界線を引き、自身の価値を高めて変化の波に乗るヒントを紹介します。
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「AIと協働する力」が
すべての人に求められている
生成AIが急速に普及し始めたいま、多くの人が不安を抱えている。「自分の仕事はこのまま残るのだろうか?」「人間にしかできない仕事とは何か?」、そんな問いが、いま改めて突きつけられている。
もちろん、AIが今後どこまで進化するかについて確実なことは言えない。しかし一方で、私たちの働く現場では、すでに目に見える変化が始まっている。顧客対応、翻訳、プログラミング、文書作成など、さまざまな業務にAIが導入され、仕事のやり方そのものが変わりつつある。
こうした変化を前にして、もはや「何もしない」という選択肢はない。新しい技術に無関心でいること、過小評価することは、時代に取り残されることを意味する。
この変化に備えるべき理由は、もう一つある。それは、私たちの「人生そのものが長くなっている」という現実だ。厚生労働省の簡易生命表によると、2023年生まれの女児の50%、男児の26%が90歳まで生きるとされている。
また、100歳以上の人口は、1963年には全国でわずか153人だったが、2022年には9万人を超え、約60年間でその数は約600倍に増えた。今後も増え続け、2050年には100歳以上人口が約47万人に達すると予想されている(図参照)。
つまり、いわゆる「人生100年時代」は、もはや未来の話ではない(*6)。
図 100歳以上の人口の推移[出所]国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(令和5年度推計)」より筆者作成
長寿化は私たちのライフコースに変更を迫る。たとえば65歳で定年退職しても、90歳まで生きれば、定年後に25年もの時間が残される。95歳まで生きれば、30年だ。ただのんびりと過ごすには、あまりに長い。
しかも近年は健康寿命も延びており、今後は、働く期間も長くなると考えるのが自然だろう。70代まで働くのが当たり前になり、80代でも現役という時代が現実になろうとしている。IMFも「高齢者は昔より『若い』」と指摘しており、認知機能の指標では、2022年の70歳は2000年当時の53歳に相当するという(*7)。
職業人生が延びれば、その分社会や経済、技術の変化に何度も直面することになる。一度就いた職をずっと続けられるとは限らない。むしろ、テクノロジーの進化や産業構造の転換に応じて、自らの働き方やキャリアを何度も見直すことが必要になる。
これからの時代、個人にとって最も重要になるのは「学び続ける力」である。そしてそれは、不安に立ちすくむのではなく、未来に向けて一歩を踏み出すための力でもある。
AIを使いこなす教養、つまり、AIを読み解き、活かすリテラシー。それはもはや一部の専門家や技術者の話ではない。誰にとっても、新しい時代を生き抜くための基礎教養になっていくだろう。
AIリテラシーとは、単にプロンプトの書き方を覚えることではない。ただ「AIを使っているかどうか」でもない。「どう使っているか」「どこまで任せ、どこで自分が判断するか」。AIと協働する力が、新しいビジネスリテラシーとなっている。
同じように見える仕事でも、AIに任せてよい領域と、人間が判断すべき領域は違う。その境界を見極める力こそ、私たちがこれから鍛えるべき感覚である。その差は、成果と評価の差として現れる。
これが「AI大格差」だ。「使う/使わない」ではなく、「任せる」と「判断する」の境界を引けるかで差が開く。まさにAIの波に乗るためには、「波の形を読み切る力」が求められているのである。
AIはすでに社会のあらゆる場面に入り込み、学び方や働き方、産業構造、さらには政策のあり方までも揺るがしている。そして、この変化はまだ序章にすぎない。
そこで、もう一度、立ち止まって考えたい。それは、AIが進化を続けるこの時代において、「人間であること」とは何か、という問いである。
AIは確かに賢い。情報量も、処理速度も、表現の滑らかさも、人間をしのぐ場面が増えている。とはいえ、そこに「憧れ」はあるだろうか? 私たちは、AIになりたいと思うだろうか?
たとえAIが人間の知能を超えたとしても、それは人工物にすぎない。心はないし、血も通っていない。知識を覚えたり、情報を処理したりするだけなら、AIの方が早くて正確かもしれない。だが、「何を問うか」「何に意味を見いだすか」それは人間にしかできない。
ある風景を見て美しいと感じる心、音楽を聴いて涙する感性、あるいは他者の痛みに共感し、正義とは何かを問い直す力。そうした価値や意味を見出す営みは、データ処理や計算能力では置き換えられない、人間固有の営みである。
また、自分で決めて自分で責任をとるというのもAIにはできないことだ。そうした「人としての成熟」が、今後ますます求められるようになる。
だからこそ、私たちは考えるべきなのだ。AIが何をできるかだけではなく、人間が何を大切にしたいのかを。そして、どんな未来を望むのかを。
(本稿は、『AI大格差』(日本評論社)の一部を抜粋・編集したものです)



