同じ東大生からも優秀すぎて「宇宙人」と尊敬される、定員約100人のレア集団、東大理三の謎に包まれた実態を、教育ジャーナリスト・庄村敦子が取材。本連載では、普通の大学生とはまるで違う学生生活、恋愛、家庭環境、お金の話などに加え、天才すぎて凡人には理解不能な奇人変人エピソード満載。激レアな天才たちの頭の中、人物像、おいたち、卒業後の進路など徹底解剖! (構成/ダイヤモンド社書籍編集局・中村直子)

「東大理三病」とは何か? 和田秀樹氏が語る「最難関」に執着する受験生の正体Photo: Adobe Stock

最難関受験が生んだ「東大理三病」という病

「1968年、東大医学部の学生らによって、東大病院の研修医の待遇改善などを求めた東大紛争が起きました。当時は反骨精神を持った医学生もいましたが、安田講堂を占拠した学生らを機動隊が退去させた『安田講堂事件』以降は、受験エリート化しました」

 こう語るのは、東大医学部卒の内科医で、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広(かみまさひろ)さん。

 1968年に東大理三に入学した、小児科医で前衆議院議員の阿部知子さんは、入学後2ヵ月ほどで東大紛争のために、大学のロックアウトを経験しました。

「大学の講義がなくなったため、ベトナム反戦運動、入管闘争などの活動に参加しました。講義再開後は、精神科病棟開放などの医療ボランティア活動を行いました。当時の東大の医学部生は、社会的関心があり、積極的に活動する人が多かったように思います」と当時を振り返ります。

 同じく東大医学部卒の精神科医で、『医学部の大罪』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など950冊もの著書を持つ和田秀樹さんは、「東大理三病」について、次のように話します。

「東大は入学後に学部・学科を選べるため、医学部に進むつもりがないのに、『最難関に合格したい!』と、ゲーム感覚で理三にこだわって受験する『東大理三病』の受験生がいます」

 確かに、東大理三の合格者にお願いしたアンケートでも毎年、志望理由に「最難関の理三に合格したかった」と書く人がいました。

 和田さんは、偏差値トップの理三に合格したにもかかわらず、その能力を活かせない学生もいると言います。

「近年は、塾の言いなりで勉強してきた、つまらない秀才が増えてきました。だから8~9割の人は普通の医者にしかならないのです。これはもったいないことです」

 医学部の教員には、教育、臨床、研究の3つの仕事があります。

「本来、教育や臨床がうまい人が教員になるべきなのに、東大の教員は研究にばかり力を入れていて、教育がおろそかになっている人が多い気がします。
 私学では教育や臨床がうまい教員が教授になることがありますが、東大では、研究論文を書くことに力を注ぐ教員が教授になっているのが実情。結果、教授の講義がくだらないので、医学に興味を持てなくなる学生もいます」

 2013年実施の東大入試では、灘高校から理三に現役で21人、浪人も入れると27人が合格しました。当時の定員100人中4人に1人が灘出身。合格者の保護者によると、灘で成績がいい生徒のほとんどが、理三を受験したそうです。

 ちなみに当時の灘は「成績がよければ理三へ。浪人してでも理三へ」と考える生徒が多かったのですが、近年は少子化が進み、浪人を敬遠する「安全志向」が増加。臨床医希望なら、関西の国公立大学医学部を志望する生徒が増えているようです。

(本記事は、書籍『東大理三の世界 日本一の天才集団にみた謎すぎる生態』の一部を抜粋・編集したものです)