人生には、頑張らないといけない時がある。でも、頑張りすぎてもいけない。
矛盾しているようで、していない。頑張るべき努力と、絶対に頑張ってはいけない努力があるからだ。後者を続ける限り、人はどれだけ力を尽くしても、ただすり減っていく。
その「やってはいけない努力」の正体を、アパレル史上最年少で上場した株式会社yutori社長・片石貴展氏は、一つのギリシャ神話を手がかりに解き明かす。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局/淡路勇介)

自分の言葉で話せるようになりましょう。Photo: Adobe Stock

がんばるほど、すり減っていく努力がある

努力すること自体は、尊い。だれも否定できない。
だが、努力には二種類ある。
「報われる努力」と、「どれだけ続けても報われない努力」だ。
そして後者を続けている限り、人はがんばればがんばるほど、すり減っていく。
その「やってはいけない努力」とは、何か。ヒントは、はるか昔のギリシャ神話にある。

「シシュポスの岩」という、有名な物語をご存じだろうか。この神話を“報われない努力”の正体として読み解くのが、片石貴展氏の新刊『自分の言葉で話せるようになりましょう。』だ。

神々を欺いた罰として、シシュポスという男が、巨大な岩を山頂まで押し上げる刑を科された。だが、その岩は、あと少しで頂上に届くというところで、必ず自分の重みで麓まで転がり落ちる。彼はまた麓に降り、岩を押し上げる。それを永遠に、終わりなく繰り返す。

これこそが、やってはいけない努力の正体だ。
自分で決めたのでもなく、ゴールも見えず、ただ他人に強いられて、転がり落ちる岩を押し続ける。

「がんばるべき努力」との見分け方

ただし、つらい努力がすべて「逃げるべき努力」なわけではない。
歯を食いしばる価値のある努力も、たしかにある。
では、その境目はどこにあるのか。
片石氏は、こう記す。

つまり、センスのいい努力とは、
 ① 自分で決めている
 ② 周囲の評価ではなく、自分の納得感を優先している
 ③ ゴールが見えている
 なのですが、自分で決めること(①)ができなくても、自分の言葉で解釈し納得する(②)こともできます。自分で決めることもできず、自分の言葉で解釈することもできず、ゴールも見えない状態だと、心を削り続けることになるので、逃げたほうがいい環境ともいえます。

――『自分の言葉で話せるようになりましょう。』より

見落としてはいけないのは、片石氏が「三つとも揃え」とは言っていないことだ。
①で自分が決めた努力でなくても、②のように自分の言葉で意味を捉え直せるなら、その努力は続ける価値のあるものに変わる。
逃げるべきなのは、三つがすべて欠けたときだけ。
自分で決めたのでもなく、自分なりの意味も見いだせず、終わりも見えない。
そのときはじめて、努力はシシュポスの岩になる。
ある心理学者は、人が最も力を発揮し、幸福を感じるのは「自分で決めている」という感覚があるときだと言った。裏を返せば、自分で決めていない努力は、どれだけ積み上げても、人をすり減らしていくだけだということだ。

そこから降りるのは、負けではない

もし今、自分がその岩を押していると気づいたら、どうすればいいか。
片石氏の答えは、はっきりしている。

このような終わりのない、自分では納得していない他人にやらされる苦行。もしあなたがこのような環境にいるなら、がんばるのではなく、逃げるべきだと思います。
――『自分の言葉で話せるようになりましょう。』より

そこから降りるのは、根性がないからではない。
勝てない戦場に居座り続けることと、粘り強さは、まったく別のものだ。
転がり落ちる岩を手放して、自分で選んだ岩を押せる場所へ移る。それは逃げではなく、選び直しだ。
やってはいけない努力とは、たったひとつ。
ゴールのない岩を、だれかに言われるまま、押し続けることである。

(本稿は、『自分の言葉で話せるようになりましょう。』の一部を引用したオリジナル記事です)