それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)
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前回≫7/9公開、都心の狭い家が「最高」と言い切れるワケ【「持ち家か賃貸か」古賀及子さん書き下ろし(1)】
「これが家ってものよ」
この家にはじめて来た両親が狭さに驚いたと書いたが、両親、とくに母は、住宅には広さを望む人だ。
そもそも実家は子どもの数が五人と多く、必要で必然だったのかもしれないけれど、母は広さにロマンを求めていたように思う。
私が小学五年生のころ、実家の一家はそれまで暮らしていた郊外のマンションから、さらに郊外の山間に開発されたニュータウンの戸建てに引っ越した。
新しい家はひと部屋ひと部屋が広々とし、庭もあった。
いかにもニュータウンの、ずらっと家が並ぶうちの一軒だから両隣は密着しているものの、庭側の道はぐっと幅があって陽をさえぎるものがなく、リビングの日当たりは最高だ。もちろん、駐車場もある。
いつだったか母が、「これが家ってものよ」と言ったのを覚えている。
母にとって、まさしく、これこそが家なのだろう。陽の入る広い空間。からっとして、開放的、家族みんなで暮らせる場所だ。
住宅は、それぞれが事情と好みを発揮して立ち回る大舞台
住宅には選択すべきことが、あまりにも多い。
狭い家か広い家か、都心か郊外かだけではなく、価格面である程度無理して頑張るか余裕を持って低めに抑えるか、戸建てか集合住宅か、長く住むかすぐ引っ越すか、賃貸か持ち家か、もし戸建てを持ち家として建てるならば建売か注文か。
主義主張を、それぞれが個々に事情と好みを発揮して立ち回る大舞台と言ってもいい。
たとえば、本当は広い家が望ましいけれど、安く都心に暮らせるなら狭くても我慢するといった、条件に優先順位をつけてバランスをとるような技も必要になる。バランスをとる意味で、狭さに魅力を感じる私の性質は有利だった。都心に暮らしたいという熱望と合致した。
都心は奇妙であることがからかわれない
そう、狭い家に暮らすのと同じくらいに私が望んだのが、都心、だ。
せっかく両親がロマンをかけて引っ越した郊外の家は、郊外と言っていいのかというほど都心からは離れて奥まっていた。私はそこでの生活に器用になじめず、十代の最後に東京に転がるように逃げ出した。
多様であることが、あまりにも受け入れられない場所だった。受け入れられないならひとりにしてもらえたらそれでいいのだけど、ひとりでいることは、奇異として見つめられる。私には変わり者のひとりでいる度胸もまだなかった。
東京は、都心は、とにかく人が多く、一瞬で紛れて私はどこにもいないようで、それが楽だった。人がとにかく多いから、奇妙さが、誰にとってもよくあることで、からかわれない。
以降、私の住宅の希望は第一に、かつて私を助けた東京の、しかも都心であること、ということになった。
住宅に使えるお金はもちろん限られる。すると結果的に住めるのは狭い家ということになるわけで、あらかじめ狭い家が好きだったのは、大変な幸運だ。





