出版社の辞書編集部を舞台とした三浦しをんのベストセラー小説『舟を編む』は3度映像化されている。松田龍平、宮崎あおい主演、石井裕也監督の映画、黒柳トシマサ監督のアニメ、そして池田エライザ、ロックバンドRADWIMPSの野田洋次郎主演のこのテレビドラマである。

語彙が少なければ
このシーンはどう見えるか

 ドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』は、まず2024年の2月から4月にNHKBSプレミアム4Kで放送され、さらに2025年6月から8月にかけてNHKの地上波(NHK総合)で再放送された。

 原作にほぼ忠実な映画、アニメと異なり、このドラマ版には、大きな、特徴的な改変が施されている。原作等ではサブキャラに過ぎなかった新人編集者の岸辺みどりがドラマの主役になっている。明け方の海岸で泣きじゃくっていた若い女こそが、この主人公、岸辺なのである。

 『舟を編む』は原作、映像化作品ともに、辞書編纂という仕事を通じて主要登場人物がそれぞれに「言葉とは何か」というテーマに向き合っていく物語だった。

 その意味でも、このドラマ版冒頭のシーンは大切な意味を帯びている。

 こう考えてみよう。もしこの場面を語彙の少ない人が字幕なしで観たならどう感じるだろう。もしその人が「涕泣」や「慟哭」はおろか、「嘆息」も「嗚咽」も知らなければ、「女の子が泣いている」という平板な認識しか持てないはずだ。

 確かに、そこに描かれている一連の行為は連続的であり、大雑把にいえば「泣いている」だ。しかし、人はその連続を分節し、プロセスごとに名を与えていく。

 言語、言葉はこの分節という行為によって成り立つ。分節とは「言語によって一連の事物事象に節目(切れ目)を入れ、個物として認識できるようにすること」である。ここでは一連の「泣く」という行為が、「嘆息」「涕泣」「嗚咽」「慟哭」という4つの行為として分節されている。

 この分節(化)は、時間的な連続性に対してだけではなく、空間的な全体性に対しても働く。例えば「息」と「呼気」と「空気」は物理的には同一のものだが、現実には分節されているために、それぞれ異なる「個物」として在る。「息を呑む」とはいうが「呼気を呑む」とか「空気を呑む」などとはいわない。