人付き合いが苦手で、ひとりでいる方が楽だと感じる――そんな自分を欠点だと思ってきた人がいるかもしれない。しかし哲学的な視点から見ると、その性質にはまったく別の意味がある。

人間が経験する苦痛のほとんど

知能が高いほど、社会性に欠ける場合が多い

総じて知能が高い人ほど、社会性に欠ける場合が多いとされている。
人間関係にあまり興味が持てず、自分の関心事に深く没頭する傾向があるという。
孤独を好み、友人をつくらず、人間関係を意図的に最小化して、
自発的にアウトサイダーになるケースが多いとも言われている。

こうした傾向を持つ人は、しばしば「付き合いが悪い」「冷たい」と見られることがある。
しかしそれは、社交性の欠如というより、
内側の活動に向けるエネルギーが強いことの表れでもある。

精神が豊かになるほど、空虚が入り込む余地は減る

ショーペンハウアーはこう述べている――
精神が豊かになるほど、内面に空虚が忍び込む空間は減る、と。
豊かな想像力を持ち、頭脳の活動力が優れた人は、退屈を感じることがない。
外からの刺激がなくても、内側が動き続けているからだ。

退屈を感じやすいかどうかは、外から与えられる刺激の量よりも、
内側にどれだけ活動できるものを持っているかによって決まる。
ひとりの時間を持て余すのではなく、
ひとりの時間をその人本来の思考や関心で満たせる人は、
孤独を苦しみとしてではなく、充実した時間として体験できる。

知識が増すほど、苦痛も増す

しかし、ここに一つの逆説がある。
知能が発達した高等生物であるほど、認識が明確になるため、苦痛が増大するとされている。
「知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも増す」――
旧約聖書の言葉がショーペンハウアーの見解を代弁している。

物事を深く理解できるということは、
世界の理不尽さや矛盾を、より明確に認識してしまうということでもある。
人間が経験する苦痛のほとんどは、現実そのものからではなく、
想像力、過去の回想、未来への予測という知的な活動から生まれる。
頭がよく、深く考えられる人ほど、この苦痛を強く感じやすい構造がある。

孤独こそが、人間本来の姿に近い

ショーペンハウアーが示したのは、孤独こそが人間本来の姿に近いという視点だ。
友人であれ、恋人であれ、家族であっても、
自分と完全に一つになることは不可能だ。
各人の個性や好み、意見が違うために、
常に何らかの不協和音やすれ違いが生まれる。

しかし、自分自身とだけは唯一、完全な融和が可能だという。
心の平和と幸福は、自分の孤独のなかでのみ生まれる――
この言葉は、孤独を欠乏として捉えるのではなく、
自分と完全に向き合える唯一の状態として捉え直すことを示唆している。

孤独に耐える力を育てることが、幸福への道になる

ひとり立ちして生きるためには、他人から独立する術を知る必要があるとされている。
誰かといなければ不安を感じる状態は、
他者への依存が強い状態でもある。
ひとりでいられる力を持っていることが、
逆に人との関わり方をより健全なものにしていく。

孤独を感じやすく、人間関係に疲れやすい自分を責めることをやめ、
その性質が持つ別の側面に目を向けてみること――
深く考え、内側を豊かにしていく力は、
孤独に耐えられる人だけが持てるものでもある。
その力を育てていくことが、外の刺激に頼らずに生きるための、
静かで確かな基盤になっていく。

今日から試すなら、ひとりでいる時間を埋めようとせず、その時間に自分の内側が何を考えているかを少しだけ観察してみることだけでいい。

(本記事は『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに作成しました)