「人を育てる」とはどういうことか。コンサルタントとして1万人以上のビジネスパーソンと向き合ってきた安達裕哉氏(『頭のいい人が話す前に考えていること』)が、いま最も知りたいと語るスキルがある。「ほめる」ことだ。評価を下すのではなく、相手を伸ばす――その道を極めたのが、手書きのメッセージで全国の小学生を励まし続けてきた進研ゼミの「赤ペン先生」である。本連載では、赤ペン先生の全国代表を務める佐村俊恵氏(『57年間、9200万人の子どもを励まし続けた赤ペン先生のほめ方』)を安達氏が訪ね、その「ほめ方」の極意をひもといていく(全6回)。(構成/藤田美菜子、ダイヤモンド社書籍編集局)

組織の違和感Photo: Adobe Stock

答案の隅々まで「ほめるところ」を探す

安達裕哉(以下、安達) 前回、赤ペン先生の存在意義は「その子を丸ごと肯定すること」にあるとうかがいました。ここからは、その核心にある「ほめ方の三原則」を、一つずつ突っ込んでお聞きしたいと思っています。まず一つ目は何でしょうか。

佐村俊恵(以下、佐村) 一つ目は「結果ではなく過程をほめる」ということですね。

安達 つまり「プロセス」に注目するということですね。

佐村 そうです。おうちではどうしても、テストの出来・不出来のような結果に触れて声をかけがちだと思うんです。でも、赤ペン先生の原則は「その子の存在を丸ごと認めること」。そのためには、その子が頑張ってきた過程も全部含めてほめてあげたい、という考えが根底にあります。

安達 なるほど。

佐村 ですから赤ペン先生は、答案を「ほめるところはどこか」という視点で隅から隅まで見るんです。一字一字に注目するのはもちろん、白紙の答案であっても、消しゴムの消し跡からその子の頑張りの痕跡を見つけたりします。それまでのやりとりも履歴として残してあるので、それらもすべて頑張りの過程と捉えたうえで、声かけを行っていますね。

安達 むしろ結果以上に、過程のほうを詳しく見るべきだということですね。

佐村 そう思います。その子が頑張ってきた過程があるからこそ今がある、という考え方ですね。「もうちょっと頑張れるかもしれない」と感じさせるお子さんほど、声かけによって大きく変わるという実感もあります。

毎月「白紙」で出し続けた子の、意外な理由

安達 先ほど、白紙の答案にも頑張りの痕跡はあるとおっしゃいましたが、実際にそういうケースがあるんですか?

佐村 あるんですよ。なかでも一人、印象的だった会員さんがいます。赤ペン先生は担任制で、一年間同じ先生が見るのですが、私の担当で、4月号からずっと毎月白紙で答案を出してくる会員さんがいたんですね。

安達 白紙なのに、毎月提出はしてくるんですか。

佐村 そうなんです。当時はなぜ白紙なんだろうと不思議に思いながらも、毎回きちんと指導をして、「提出してくれてうれしかったよ。次も待っているよ」という言葉を添えてお返ししていたんです。そうしたら最終の2月号で、やっぱり問題自体は解いていなかったんですけれども、お便りの欄にびっしりと文字が書いてあって。「先生から戻ってきた赤ペンでちゃんと勉強してたんだよ、勉強楽しいね」「これからも頑張る、先生も頑張れ」って。このときは本当にうれしかったですね。

安達 結局、白紙で出してきた理由は何だったんでしょう?

佐村 私なりに考えたのですが、戻ってきた赤ペンの指導を見ながら、自分なりに理解を進めていくのがその子の学習スタイルだったのかなと。勉強の仕方は、その子によっていろいろあるんだなと教えられた出来事でした。白紙で提出というと、つい「面倒くさかったのかな」と思いがちですが、わざわざ毎月、封書に切手を貼って答案を送ってくれている時点で、ちゃんとそこに頑張りがあるし、私たち指導者にも向き合ってくれている。その気持ちに応えたくて、「提出してくれてうれしかったよ」というメッセージを返しました。

線が1本多すぎる漢字も「全部ダメ」ではない

安達 白紙という結果だけ見たら、ほめるところはゼロだけれど、過程を見れば、必ずほめるところがある?

佐村 はい。それが、そもそもの赤ペン先生の考え方です。ほめるところがないというのは、やはり結果だけを見ているからかな、と思いますね。

安達 なるほど。とはいえ私自身、親としてほめるとなると、正直自信がないんです。たとえば、うちの真ん中の子がいま小学4年生で、漢字がめちゃくちゃ苦手なんですよ。いろんな珍漢字を作り出してしまうという……。

佐村 素敵。

安達 そう言っていただけると救われますが(笑)、「安達」の「達」の字の線が一本足りなかったり、逆に多かったり。しかも昨日やった漢字を、今日もまた間違えたりする。これは一体どこまでわかっているんだろうと……。親としてはどう声をかけたものか、困っているんです。

佐村 小学生の漢字は、次から次へと新しいものが出てきますから、完璧に覚えるのは至難の業です。でも、たとえば「達」の横線が一本足りなかったとしても――「しんにょう」の部分は上手に書けていたりしませんか。

安達 「しんにょう」……ああ、確かに。

佐村 「しんにょう」って、結構難しいんですよ。自分のお子さんの字は、つい厳しい目でチェックしてしまいがちですが、必ずしも上手な字でなくても「うかんむり」は形よく書けているとか、難しい形の部首が正しく書けているとか、必ず何かあるはずなんです。できていない部分ではなくて、できている部分にフォーカスしてほめる。そのうえで「ここは一本足りなかったね、惜しかったね」と声をかけてあげる。

安達 「惜しかったね」ですか。

佐村 そう。「惜しい」は、全否定する言葉ではないんです。「ここまではできているから、もうちょっとだったんだ」という前向きな気持ちを残せる。すると、次に同じ漢字を書くとき、「ここは線が1本足りなくて、パパに惜しいって言われたところだ」と、自分から直せるんですよね。

「過程をほめる」には、解像度を上げること

安達 なるほど。私も小学生のとき、算数で部分点をもらえるとうれしかった記憶があるんです。漢字にも部分点がある、という感覚に近いですかね。

佐村 まさにそうですね。「はね」「とめ」一つとっても、その子の頑張りは表れています。はねる漢字できちんとはねていたら、私たちはそこにミニ花丸をつけて「よくできていたね」とほめるんです。

安達 一問できた・できないの◯×ではなくて、一つの字の中にも◯をつけられる部分があるから、それを見つけにいく。

佐村 ええ。ただ、ここは大事なところなんですけれど、何でもかんでもほめるという意味ではないんです。それこそ線が1本多いなど、明らかに間違っている部分は「ここは違うよ」ときちんと伝えます。何ができていて、何ができていないのかを明確に示す。それがあるからこそ、次の成長へとつながっていくのだと思います。

安達 お話をうかがって、「過程を見る」というイメージがすごく湧いてきました。結果だけで見ると、問題ができたか・できないかの◯×評価になってしまう。でも解像度を上げて、一つの問題の中でも「ここはうまくいっている」「ここは次に改善が必要だ」と分ける。その切り分けをすること自体にも、過程をちゃんと見るという考え方が入っているんですね。

佐村 おっしゃるとおりです。

安達 大人の世界でも、部下が持ってきた成果物を「こんなの全然ダメだ」と突き返すよりも、「ここはうまくできている」「ここは直したほうがいい」と切り分けて指摘したほうが、やる気をくじかずに済みますよね。

佐村 そのためには、やはり相手を日ごろからきちんと見ていることが大切で、手間もかかります。その手間を惜しまないことが重要なのだと思います。