さらに、司会者・福留功男は参加者たちに親しみやすいニックネームをつけ、出演者たちのキャラクター性を巧みに演出してみせました。
『ウルトラクイズ』の出発点には「敗者主役のドキュメンタリー」という発想がありました(注3)。司会者との掛け合いにより次第に出演者の人となりを印象付けていくことで、脱落の瞬間はより劇的なものになっていきます。
『ウルトラクイズ』の魅力は、雄大なアメリカの風土、常軌を逸した予算、そして出場者たちが繰り広げる人間ドラマによって支えられていたのです。
(注2)志賀信夫選『年間テレビベスト番組 一九七七年(第一集)』、源流社、1978年、138-139頁。
(注3)志賀信夫『テレビ・エイティ――テレビ第三時代の展望』、紀尾井書房、1980年、172頁。
過去問を研究し尽くす
「クイズ研究会」が誕生
『ウルトラクイズ』の隆盛は、ある副産物を生み出しました。この番組をきっかけに全国各地の大学で、クイズ研究会が設立されたのです。
これらはおもに『ウルトラクイズ』などの番組で活躍することを目的としたサークルであり、彼らはその目論見通り、各番組で存在感を発揮するようになっていきます。それまでも「クイズ番組荒らし」と呼ばれるクイズ通の素人はいたものの、多数の若者が日常的にクイズに親しみ、覇を競うような環境が生まれたのは、この時期以降のことです。
じつは、『ウルトラクイズ』の放送が始まった1970年代後半には、クイズ番組で出題される問題群はかなりの部分固定化しつつありました。それはクイズ番組の問題が、過去の番組を参照して作成されるようになったことによるものです。
結果としてクイズ番組の問題は対策可能で、かつ研究によって攻略可能なものになりました。名門クイズ研究会では、主要クイズ番組で出題された問題が記録、共有され、実力養成のための教材になりました。
それによって彼らは、一般の参加者よりもずっと有利な立場に立つことができるようになりました。もちろん時事的なトピックなど、過去問だけで直接的に対処できない問題もありますが、「どういうニュースがよく出るか」がわかるだけでも、対策は格段に容易になります。







