自由の女神像Photo:PIXTA

2026年9月に復活放送が決まった『アメリカ横断ウルトラクイズ』。1977年の放送開始以来、その熱はどんどんヒートアップしていき、策略をこらして番組制覇を狙う者まで現れた。情報交換や陽動作戦まで駆使する、その執念深い攻略手口とは?※本稿は、クイズプレイヤーの徳久倫康『クイズの戦後史「話の泉」、「アメリカ横断ウルトラクイズ」からQuizKnockまで』(平凡社)の一部を抜粋・編集したものです。

5週間の放送分に1億円を投じた
『アメリカ横断ウルトラクイズ』

『アメリカ横断ウルトラクイズ』がいまなおテレビ史に残る名作として言及されるのは、その並外れたスケールの大きさによります。

 それまでのクイズ番組では、海外旅行は優勝者だけに与えられる特権でした。それに対して『ウルトラクイズ』では、予選を通過した数十名で海外へ行き、現地で収録を行いました。ニューヨークを最終目的地とし、アメリカ本土を西から東へ文字通り横断する壮大な旅程そのものが、クイズ番組の一部に組み込まれたのです。

 全行程はおおよそ4回に分割され、日本テレビの「木曜スペシャル」枠で放送されました。予算は莫大で、ギネスブックにも「世界で最も制作費のかかったクイズ番組」と記載されたほどです。

 元日本テレビアナウンサーの小倉淳は、「5週間の放送分1本を制作するのに、約1億円」がかかり、「視聴率で最低17%」を達成しないと採算が取れなかったと述懐しています(注1)。しかしそれだけの予算を費やして制作されていたのは、『ウルトラクイズ』が、まさしく国民的な人気番組であったことの証左でもあります。

(注1)小倉淳『やっぱり滝川クリステルは斜め45度がいいのだ!』、講談社、2008年、134頁。

人間ドラマを撮るために
出演者を心理的に追い込む

 この人気ぶりはどこから来ているのでしょうか。

 じつは『ウルトラクイズ』の主眼はクイズそのものよりも、立ち寄った土地の風土や名物を紹介することと、そしてなによりも参加者たちが背負うそれぞれの物語を映し出すことに置かれていました。

 収録は1カ月近くに及ぶため、勝ち進んだ参加者たちは次第に、仲間としての連帯意識を抱き始めます。寝食をともにした友人たちとの対決を強いられる過酷な環境は、人間ドラマを描くうえで格好の題材でした。のちに流行する「リアリティショー」の先駆けと言ってもいいはずです。

 作り手の側も意識的でした。プロデューサーのひとりである重延浩は、制作側の(取り方によってはかなり冷酷な)意図を、以下のように説明しています。

《出場してくる人は明日からの運命をかけた表情やら行為をするんですね。心理がほんものになってくる。だからテレビにするほうじゃそのほんものの様子をとるだけでいいわけです。つまりどうやって撮影するかなどと考えるまえに、どうやって出場者をそういう心理に追い込むかを考えるわけですね。そういう状態に出場者をもっていけばあとはドキュメンタリーで、それを記録していくわけです。》(注2)