職場には、「忙しいのに何もしない時間をもてる人」と「まったくもてない人」がいる。その差は一体どこにあるんだろう? 佐藤優氏(作家/元外務省主任分析官)が「極限を生き抜いた夫婦の悲哀を描いた傑作!  危機を脱するのに必要なのは希望と愛だ」と絶賛し、「ネロ・ブック・アワード」金賞受賞した世界的ベストセラー『極限の漂流118日間』をもとに、両者の違いについて、ライターの照宮遼子氏に寄稿いただいた。(構成/ダイヤモンド社・寺田庸二)

多忙なのに「何もしない時間」をもてる人Photo: Adobe Stock

こんなにゆっくりできたのは、いつぶり?

 仕事が忙しく、まとまった休みを取れない時期が続いていた。
 予定を空けることはできるが、その前後にしわ寄せがくるのが嫌だった。
 それでも、どうしてもリフレッシュしたくなり、予定をやりくりして温泉へ向かった。
 急だったので、観光はせず、宿でゆっくり過ごした。

 窓の外を眺めながら、何もしない時間だけが流れていった。
 こんなにゆっくりできたのは、いつぶりだろう?

「何もしない時間」をもてる人の共通点とは?

 極地旅行家の角幡唯介氏が「漂流者だけが知る、あらゆる人間性がはぎとられた先にある生き物としての生。それに圧倒される」と評し、解説を寄稿した『極限の漂流118日間』(ソフィー・エルムハースト著/村井章子訳)には、救助後の慌ただしい日々のなかで、モーリスがひとり砂浜に腰を下ろし、一息つく場面がある。

ただ砂浜に座って何もしないでいるのは初めてだった。
これまでモーリスは、日光浴なんてものをする人の気持ちがとんと理解できなかった。
ひたすらくつろいでだらけるなどということは、モーリスからすれば道徳的堕落に近い。

――『極限の漂流118日間』より

 モーリスは、何もせずに過ごすことが得意ではなかった。
 船を動かす。魚を捕る。記者に答える。どの時間にも、目的や役割があった。
 だからこそ、ただ座っているだけの時間を長い間理解できなかったのかもしれない。

 何かをしている時間だけが意味のある時間だと思っていると、何も生み出さない時間は、「休息」ではなく「空白」に見えてしまう。
 体を休めているはずなのに、どこかで「これでいいのか」と感じてしまうのは、その空白に慣れていないからでもある。

過ぎていく時間の意味

 常に前へ進むことに慣れていると、立ち止まると落ち着かなくなってしまう。
 手を止めた瞬間、自分だけが遅れていくような気がするからだ。
 だが、生産性のない時間が、その人を空っぽにするわけではない。

 モーリスが砂浜に座っていた時間は、確かに何かを成し遂げる時間ではなかった。
 ただ何もしない時間を、無駄だと思わずにいられたこと自体が、彼にとっては大きな変化だったのかもしれない。