作品の細部までくっきり照らし出す、現代美術館のクリアな照明。一見すると理想的な鑑賞環境に思えますが、実は絵画が持つ「本来の魅力」を削ぎ落としてしまっているかもしれません。本記事では、『「いまを生きる力」を取り戻す 感性の教室』の著者・末永幸歩氏に、マルタで鑑賞した名画についてお話しいただきました。

マルタで鑑賞した名画《聖ヨハネの斬首》聖ヨハネ准司教座聖堂

美術館の「明るい照明」

――末永さんは現在、地中海の島国マルタにお住まいですね。マルタで鑑賞できる美術作品について、現地で特に印象に残っている作品はありますか?

末永幸歩氏(以下、末永):マルタのバレッタにある聖ヨハネ准司教座聖堂に飾られている、カラヴァッジョの《聖ヨハネの斬首》です。

横幅が5メートルを超える巨大な油彩画で、彼がマルタに滞在していた時代に描かれた最高傑作です。

この作品を、それが飾られている大聖堂の空間そのもので見られたことが、私にとって極めて大きな体験でした。

――美術館で見るのとは、何が違うのでしょうか?

末永:決定的に違うのは「光と影」の環境です。

現代の美術館は、非常に明るくフラットな照明が当てられ、作品の細部までクリアに見えるよう設計されています。

しかし、カラヴァッジョの《聖ヨハネの斬首》が置かれている大聖堂の部屋は、ものすごく暗いんです。

薄暗い大空間の中に、たった1枚の作品だけが鎮座している。

その黒っぽくて、細部がほとんど見えない暗闇の中で鑑賞することで、カラヴァッジョがなぜあれほどドラマチックに光と影を表現しようとしたのか、その本当の意図が身体レベルで理解できました。

宗教画と美術館展示の「乖離」

――「細部までクリアに見えること」が、必ずしも正しい鑑賞ではないということですね。

末永:その通りです。

ルネサンス期やバロック期の宗教画の多くは、キリスト教の教会の祭壇や壁面を飾るために描かれました。

当時の人々は、薄暗い堂内で、揺らめく蝋燭の炎や窓からのわずかな光に浮かび上がるその絵を前にして、祈りを捧げていたわけです。

それを現代の美術館に持ってきて、明るいLED照明の下で「この絵の色彩は」「この構図のバランスは」と分析的に鑑賞することは、作品が本来持っていた「宗教的・空間的な意味」からは大きく乖離してしまっています

――日本でも、阿修羅像を美術館でみるのと、お寺の薄暗い本堂で拝むのとでは、受け取る感覚がまったく違いますね。

末永:まさにその通りです。

とくに宗教画などについては、本来それがあるべき教会やお寺で、空間を含めて体全体で感じ取ることをおすすめします。

また、美術館や博物館に展示された作品を際にも、それがもともとどのような場所にあったのかを想像しながら鑑賞してみることで、感じられるものの幅が大きく広がるはずです。