ユーモアを交えながらも、梶田の証言は真を突いていた。

「高校2年のとき、春の甲子園で竹田利秋さんという名監督が率いる東北高校と対戦しました。東北のエースはのちの“大魔神”佐々木主浩さんです。私が日本生命の監督になってから、竹田さんが総監督だった國學院大に挨拶させていただく機会があったんですけど、『あのときの梶田くんか』と竹田さんは私を覚えていてくださいました」

 1985年、春の甲子園準々決勝。池田と東北の試合は6回まで0対0の投手戦だった。

 池田は7回表、1死2、3塁のチャンスを迎える。

「竹田さん、試合中に蔦さんから片時も目を離さなかったそうです。1点を争うゲームになったから、蔦さんがサインを出せば、それはスクイズだろうと竹田さんは考えていた。その機を見逃さないように、蔦さんの一挙手一投足を警戒していた。池田がチャンスを迎えた7回表でした。観客席かベンチ裏から、竹田さんの知り合いが声をかけてきたそうです。一瞬振り返って、竹田さんはすぐに視線を元に戻した。その瞬間です。目を離したほんの1、2秒。グラウンド上に池田の打者がスクイズした打球が転がっていた。その1点で、東北は池田に負けたんです」

名将が悔やみ続けた「1、2秒」を
梶田は「絶対にたまたま」と笑った

 珈琲をひと口飲み、「ほんの一瞬ですよ」と梶田は繰り返した。カップをテーブルに戻して、続けた。

「竹田さんはあの一瞬を、後年になっても悔やみ続けておられました。私が目を離した瞬間を蔦監督は絶対に見ていた、と」

 梶田が笑った。

「一瞬の隙をついて蔦さんがスクイズのサインを出したものだと信じ込んでいる。竹田さんのような名監督でさえですよ。だけどね、絶対にたまたま、偶然なんですよ。それを対戦校は深読みする。蔦さんは、持っている。そういう運を持っているとしか言いようがないんです」

 池田は甲子園で勝った。勝ち続ける中で蔦は、ある種の神性をまとっていった。

 蔦の神性、それはこう言い換えられるのかもしれない。