「ナポレオン三世」と聞いて、どんな人物を思い浮かべるだろうか。ナポレオン一世の甥として知られる彼は、実は政治経験も乏しく、演説の名手でもなかった。にもかかわらず、1848年のフランス大統領選では約74%という圧倒的な得票率で勝利している。なぜ彼は「実力」だけでは説明できない大勝を収めることができたのか。そこには、頭のいい人が知っておきたい「自分がすでに持っているもの」を武器に変える戦略があった。『地図で学ぶ「深読み世界史」』の著者による寄稿記事から、ナポレオン三世のしたたかな勝ち方をひもとく。
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政治経験も演説力もないのに、得票率74%で圧勝
ナポレオン三世と聞くと、まず「ナポレオン一世の甥」という説明が思い浮かぶ。だが、彼の面白さは、有名な叔父の名を受け継いだだけではない。むしろ本人は、政治家としてはかなり異色の出発をしている。幼少期から青年期にかけてフランスの外で暮らし、スイスなどを転々とした。若い頃から「いつかフランスで権力を握る」という野心は抱いていたとされるが、国内政治で長い経験を積んでいたわけではない。しかも、演説が得意だったわけでもなかった。人前で話す姿は洗練された政治家とはほど遠く、風采も叔父ナポレオン一世のような英雄的イメージとは違っていた。
それでも1848年、フランスで大統領選挙が行われると、ルイ=ナポレオン・ボナパルトは約74%という圧倒的な得票率で勝利する。2位のカヴェニャックは約20%だったから、まさに大差である。
政策よりも強かった「ナポレオン」という名前
なぜ政治経験の乏しい人物が、ここまで支持を集めたのか。その最大の武器は「ナポレオン」という名前だった。当時、普通選挙によって新たに有権者となった人々の多くは、新聞や政治パンフレットを読み込むような層ではない。だが「ナポレオン」という名なら知っている。革命後の混乱の中で、秩序や栄光を連想させる名前は、それだけで強力な政治資産になった。
重要なのは、彼の勝利が「本人の能力」だけでは説明できないことだ。社会が大きく変わり、政治に参加する人の顔ぶれが変わったことで、従来とは別のタイプの政治家が有利になったのである。しかもナポレオン一世の記憶には、革命後の混乱を収めた指導者、フランスに栄光を取り戻した英雄というイメージが重なっていた。ルイ=ナポレオンは、その巨大な政治的遺産を自分の名札として使えた。
政策や議会経験だけでなく、名前、イメージ、記憶が票を動かす。ナポレオン三世は、今日の大衆政治にも通じる「知名度の力」を、19世紀半ばに体現した人物だった。









