自社が手にしているのは、消費者が払う額のわずか1割前後にすぎない――ピーター・F・ドラッカーは『明日を支配するもの――21世紀のマネジメント革命』で、マネジメントの範囲を法人格の内側で区切る前提は100年前から成り立たなくなっていた、と記す。納期も品質も原価も、指揮命令の届かない場所で決まっている。2026年1月に施行された取適法(中小受託取引適正化法)が発注する側に取引先との協議を求めた背景も、この視点に立てば見通しがよくなる。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

自社の取り分は1割だけ
外注のデザイナー、物流のパートナー、システムを預けたITベンダー、材料の供給元。どの業種にも、法的には自社の外にいながら、自社の成果を左右する相手がいる。
取引先のミスで自社の評価が落ちる、納期が守られず自社が客に頭を下げる――そんな場面に覚えのある人は多いはずである。指揮命令の届かない相手の仕事ぶりに、自社の評価が左右されているからである。
ドラッカーの『明日を支配するもの』は、その内と外の関係を数字で示している。刊行は1999年、いまから27年前である。
通常、コストや売り上げに占める自社部分の割合は、消費者が実際に払うものの10パーセント前後にすぎない。法的に規定されたものを自社の領域としているかぎり、情報をもち、マネジメントすることのできるものは、その領域の内部にかぎられる。
――『明日を支配するもの』より
残る9割は、法的には自社の外にある。だから情報が入ってこず、手も届かない。
売り上げの9割は自社の外で生まれる。納期も品質も原価も、自社の指揮命令が届かない場所での仕事ぶりに左右されている。
それでも多くの企業は、自社の範囲を登記された線の内側で数えている。管理できるものだけを見ているのだから、見えている景色が一部にとどまるのは当然である。
系列という答えは、アメリカで先に試された
この問題に、100年以上前に手をつけた人たちがいる。部品メーカーを企画から原価管理まで囲い込む「系列」は日本企業が生んだ仕組みだと思われているが、本書には、その原型はアメリカで生まれたと書かれている。
本書が挙げるのは、1910年に自動車工業が大産業になることを見通したアメリカ人、ウィリアム・C・デュラントである。彼はビュイックなど業績のよい中小メーカーを吸収合併してゼネラル・モーターズ(GM)をつくり上げ、1920年には当時アメリカ最大の車体メーカーを買収して、70パーセントを内製化した。
だが、その全盛期にあたる1950~60年代、これほど内製化の進んだメーカーはほかになかったにもかかわらず、GMが手にしていたのは消費者が支払うものの15パーセント程度だったという。囲い込みを極限まで進めても、8割以上は自社の取り分にならなかった。
ところが、すでに100年も前に、マネジメントの範囲を法的に定義することは妥当でないことが明らかにされている。
――『明日を支配するもの』より
これは自動車という業種の事情ではない。囲い込みという手段では、どこまで行っても外側が残るという話である。
協議なき代金決定は禁止
2026年1月1日、下請法が改正され、中小受託取引適正化法(取適法)として施行された。発注する側の企業に、新しい禁止行為が加わっている。
中小の取引先から価格の協議を求められながら、応じずに一方的に代金を決め、相手の利益を不当に害することが禁じられた。明示的に断る場合だけでなく、求めを無視したり協議を繰り返し先延ばしにしたりして協議を困難にさせた場合も、これにあたる。
協議なき一方的な代金決定は禁止。判断の基準は実質的な協議が行われたかどうかであり、相手から申し出がなかったから協議しなかった、という説明は通らない。
発注する側にとっては、法人格の外にいる相手と話し合うことが、自社の義務として書き込まれたことを意味する。
受注する側から見れば、同じ制度が逆の景色に見える。価格の協議を求めれば、相手にはそれに応じる義務が生じる。相手の指揮命令下にないまま相手の成果を支えてきたという事実に、ようやく制度上の言葉がついたともいえるだろう。
ただし、取適法が変えたのは「協議するかどうか」だけである。どこまでを自社の仕事と考えるかは、法律ではなく、それぞれの経営判断に委ねられたままだ。
マネジメントの範囲を引き直す
供給網を管理する、という発想自体は新しくない。ドラッカーが違うのは、指揮命令による支配で囲い込めとは言わなかった点である。
本書は系列にも留保をつける。系列は力関係を基盤としており、対等なパートナーシップではなく、供給業者側の従属によって成り立っているというのだ。
本書が「真のパートナーシップ」と呼ぶのは、別の形の関係である。鍵となる技術をもつ小さな企業と、それを必要とする大企業。規模では比べものにならなくても、提携先を決めるのは技術をもつ側だと本書は書く。
従わせれば情報は集まる。だが集まるのは、従わせた範囲までである。支配できる範囲を広げるのではなく、成果が生まれている範囲に合わせて線を引き直す。本書が求めているのは、その順序の入れ替えだ。
こうして、理論と実務の双方において、今後前提とすべきものが、マネジメントの範囲は、法的にではなく、実体的に規定されるとの考え方である。
――『明日を支配するもの』より
法人格の線は、責任の所在を示すためのものであって、成果がどこで生まれているかを示すものではない。契約のうえで他人であることと、成果のうえで他人であることは、同じではない。
取引先のミスで自社の評価が落ちるとき、その相手はすでに自社の仕事の一部を担っている。1割の内側だけを見ているとき、残る9割はマネジメントの外にあるのではなく、ただ見えていないだけなのかもしれない。





