1517年、ルターの「九十五カ条の論題」から始まった宗教改革は、ドイツだけにとどまらず、スイスにも大きなうねりを生みました。ツューリヒではツヴィングリ、ジュネーヴではカルヴァンが改革を推進。プロテスタントに共通する「聖書第一主義」のもと、カルヴァンは「救われる人は神によってあらかじめ決められている」という予定説を唱えます。さらに彼が注目したのが、意外にも「職業」でした。なぜ信仰と仕事が結びついたのでしょうか。本稿は書籍『地図で学ぶ「深読み」世界史』からの抜粋です。
出典:『地図で学ぶ「深読み」世界史』
1517年よりドイツでルターが九十五カ条の論題を発表し、ヨーロッパに宗教改革の荒波が押し寄せます(後にルター派あるいはルーテル教会に発展)。スイスもまた、1523年よりツューリヒでフルドリヒ・ツヴィングリが改革に着手し、さらに1536年にはフランスから亡命した神学者ジャン・カルヴァン(1509~64)が、ジュネーヴで宗教改革を進めます。
「救われる人は最初から決まっている」カルヴァンの「予定説」
さて、この宗教改革によりプロテスタント(新教)と総称される諸派がキリスト教に登場するわけですが、プロテスタント諸派の思想には共通点があります。それが「福音主義」と呼ばれるもので、これは「聖書を字義通りに解釈する」ことを旨としています。
したがって、「聖書第一主義」と言い換えることもできるでしょう。プロテスタントの先駆者となったルターは、教皇庁による贖宥(しょくゆう)状の販売に反対しました。贖宥状とは教会から与えられた罰を減じる証書であり(生前に解消できなければ魂は煉獄に堕ちるとされました)、「贖宥状で罰が減じられる」とは聖書に書かれていないことを根拠に、ルターは教皇庁を非難したわけです。
ルター派をはじめとするプロテスタント諸派の例に漏れず、カルヴァンに起源を有するカルヴァン派もまた、福音主義の影響を受けた教義を特徴とします。カルヴァンもまた、ルターと同じく聖書をもとにある結論を得ます。それを「予定説」といいます。
予定とは、「予(あらかじ)め定まっている」ことを意味し、カルヴァンは「ある人が救済されるかどうかは、神によって予め決められており、個人が善行を積んだかどうかは関係がない」という結論に達したのです(聖書にはそのように読み取れる箇所はあるものの論拠としてはやや弱い部分もあります)。これを真に受ければ、すでに救済されるかどうかが決まっている以上、現世の生への関心が薄れるように思われますが、カルヴァン派はさらに踏み込んだ議論を展開します。
「自分は救われるのか?」カルヴァンが出した意外な答え
ここで焦点となるのが、「誰が救済されるかは明示されていない」ことで、仮に救済されることが約束された本人も、自分自身が救済されるとは知らされておらず、結果を知るのは神のみです。
では人間には生きているうちに、その結果を知る術(すべ)はあるのでしょうか? そこでカルヴァンが提供した回答が、「職業」です。ルター派は聖書の実践として信仰を重視しますが、カルヴァン派がそれ以上に注目したのが「職業」だったのです。









