この「一見して非合理」な超アナログの制作手法こそが、機械ではできない「間」や「味」を生み、爆笑につながっていく。全員集合の強さは、この「人動主義」にあったのだ。
「一見して非合理」が他局に
マネできない強さを生んだ
1969年に始まった「全員集合」が当時いかに革新的であったかは、逆説的ではあるが、企画の段階で会社中から猛反対にあったという事実からもわかる。
「全員集合」にドリフターズを起用した理由を居作昌果(編集部注/番組の初代プロデューサー)は、コント55号の軽妙なアドリブとハプニングに対抗するためと、そう著書の中で述べている。ドリフが、不器用だが時間をかけて徹底的に練り上げた笑いを得意とするグループだったからである。
「戦略とは、違いを作ってつなげること」といわれる。
その意味で、アドリブとハプニングの笑い全盛の時代に、敢えて計算され尽くされたコントという全く違うものをぶつけたことは、極めて戦略的だったといえるだろう。
さらに、公開生放送で練り上げコント→そのためにドリフを週3日拘束→破格のギャラというのも、おいそれと他局が真似できないことである。
公開生放送にしたことで、ドリフやスタッフのエネルギーを集結させたであろうことは先にも述べた。さらに人動主義という一見して非合理なノウハウで他番組の模倣を許さず、それによって組織能力も上がる。
公開放送という仕組みはお客さんの反応がすぐにわかるので、スタッフ全員が6人目のドリフターズという高いモチベーションで本番に挑む、そういう環境を作ったのだ。
結果、テレビ史上バラエティとしては最高の50.5%という破壊的視聴率で他番組を凌駕し、16年にわたりTBS放送ビジネスを支える中核となったのである。
『ドリフターズと全員集合から学んだ流儀』(園田 憲、ポプラ社)
圧倒的視聴率によって、特に歌謡曲全盛時代のアイドルから見れば、絶対に出なくてはいけない番組となり、それによって豪華ゲストのコントが実現、あげくには、スタッフの家族のためのファミリー・パーティーにまで全盛期のピンク・レディーやジュリーまでもがかけつけた。
それによりスタッフの番組に対するエンゲージメントも上がるなど、いくつもの好循環もあった。
僕の知る居作さんは、あきらかに勝負師の顔を持っていた。本人は一度も「戦略」という言葉は使っていないが、その勝負師・居作昌果の直感が、「ドリフで公開生放送」を実現させたに違いない。
振り返ればそれは、あらゆる企業が見習うべき、ストーリーのある競争戦略と言えるのではないか。







