明石家さんまさん明石家さんまさん Photo:SANKEI ※掲載写真は本文の内容とは関係ありません

「収録まであと2週間、正月特番の企画が白紙」――スポンサーは決まっているのに、番組の中身だけがない。窮地の制作陣に明石家さんまが投げかけたのは、「夢を叶える番組でけへんか」という一言だった。そこから生まれたのは、会議室で企画を練り上げるのとは正反対の「とりあえず街で聞いてみる」という発想。これが後の長寿番組を生むことになる。※本稿は、前TBSホールディングスグループ上席執行役員の園田 憲『ドリフターズと全員集合から学んだ流儀』(ポプラ社)の一部を抜粋・編集したものです。

企画が決まらないから
街の人に聞いてみよう

 実は僕にも土壇場で企画が飛び、混沌に苦しみ抜いた経験がある。

 30分時代の「さんまのからくりTV」(編集部注/1996年4月に1時間枠へ拡大し「さんまのSUPERからくりTV」に改題される)に参加し間もないある年の12月。プロデューサーが明石家さんまさんを口説くことに成功し、ようやく成立した「正月特番」の企画が、共演者の都合で白紙になった。このとき、スタジオ収録のわずか2週間前である。

 企画は頓挫したが、「明石家さんま正月特番」とあって既にスポンサーも決まっていて後戻りできない。とりもなおさず、さんまさんに事情を説明しようと大阪まで押しかけた際に、彼から出たひとことが、「夢を叶える番組でけへんか」という言葉だった。

 スタジオ収録まであと2週間、早急に企画を詰めセットなども発注しないと放送に間に合わない。

 作家を呼んで内容を考えるが、「夢を叶える」というコンセプトが大きすぎて、埒があかない。

 企画において、「なんでもできる」のは「なにもできない」のと同義なのだ。果たして2週間で何ができるのか?煮詰まる中、打開策としてプロデューサーのIさんがこう言った。

「とりあえず、世間の人達がどんな夢を叶えたいと思っているか、街で手当たり次第聞いてみよう。そのインタビューを参考に、番組の構成を考えるんだ」

 そんなところから始めるのか。僕はあやうく反対しそうになった。「練り上げ方式の作り物バラエティ」のプロとしてのプライドがそう思わせたのかもしれない。

 なぜ反対しなかったかと言えば、このチームに入って日が浅く、「さんまさんの番組」なりの流儀があるかもしれないと思ったから。もっとも他に対案もなかったのだが。

街頭インタビューを見たさんまは
「そのまま流したほうがええな」

 さっそく番組のAD(編集部注/アシスタント・ディレクター)など3人のスタッフが、8ミリビデオカメラを持って街へ出た。

 翌日、彼らが打ち合わせ用の資料として撮ってきたビデオを、作家達と見る。するとわずかに希望が見えたのだ。

「一度でいいから、オーケストラの演奏で演歌を歌ってみたい」と語るトラック運転手、何を聞いても「わかりましぇーん」と答える剣道の防具を持った小学生。街の人達はいきいきと夢を語っていた。そこにはそれぞれの人生が垣間見える、笑いがあった。

「このインタビューは、そのまま流したほうがええな」

 翌日、画質の荒い資料用のインタビュー集を見て、さんまさんは笑いながらこう言った。そのひとことで瞬く間に番組の基本の構成が決まっていく。