300年以上前の棋士と現代のトップ棋士を比較すること自体、通常は難しい。しかし、もし「12歳時点で誰が最も強かったか」という視点で見たならば、ひょっとすると印達が史上最強だった可能性もあるのではないかと思う。
大げさな言い方かもしれないが、少なくとも才能という点では、印達は藤井聡太さんに勝るとも劣らない突出した資質を持っていたのではないかという印象を私は抱いている。
57番勝負を重ねる中で
互いを極限まで鍛え上げた
2人の時代には現代将棋のように戦法ごとの蓄積された定跡もなく、過去の棋譜も多くは残っていなかった。それゆえ戦法と定跡においてはまだ発展途上であったことがうかがえるが、それは致し方ないことだと思う。
その上で感じることは、最初は現代のプロ棋士養成機関・奨励会の上級者レベルのように感じた指し回しが、盤勝負の数を重ねるごとに変わり、2人とも急激に上達していることだ。これは極めて興味深い点である。
普通、棋士の成長は年単位で起きる。しかし2人は、対局を重ねるごとに、まるで別人のように強くなっていく。おそらく、互いが互いを極限まで鍛え上げたのだろう。強敵とは、時に最大の師匠になるものだ。宗銀にとって印達がそうであり、印達にとって宗銀がそうだった。
名局というものは、1人では生まれない。互いが限界まで力を出し合った時にのみ生まれる。57番勝負が将棋史に残った理由も、そこにあるのだと思う。
2人が1711年11月21日に江戸城にて指した57番勝負の最後の1局は、現代でいう先手宗銀の石田流三間飛車の平手将棋だ。振り飛車側の囲いとして優秀な美濃囲いはまだ知られていなかったようで、宗銀は採用していない。
熱戦の末、優勢だった宗銀に終盤で痛恨の失着があり、114手で後手の印達が勝っている。この棋譜は今も残っている。AIどころか過去の棋譜もほとんどなかった時代に、2人が築き上げた当時の最高レベルの1局だと言っていいだろう。







