両者の実力は
勝敗だけで測れない

 2人の対戦成績としては、年下の印達が圧倒しており、57番勝負は宗銀が印達に連敗した結果、一時、角香交じり(1局目を角落ちで指し、2局目を香落ちで指す駒落ち将棋)までに印達が追い込んでいる。

 ただし、これは負けが込んで宗銀が心理的に追い込まれた結果で、2人の棋力に角香交じりほどの差はなかったと思う。1711年の最後の1局では2人の手合いは平手に戻っている。

 2人の57番勝負の結果は、印達が駒を落とした対局も含め、印達の36勝、宗銀の21勝だったとされている。宗銀連敗後の駒落ちが含まれているとしても、この勝敗数からみて、2人の実力はかなり拮抗していたはずだ。明らかな実力差がある場合、下手はここまでの勝ち星を上げられないものだ。

 むしろ印達の強さは、勝負どころでの集中力にあったのではないか。終盤で一気に踏み込む鋭さ、相手の乱れを逃さない嗅覚――それが勝敗数に現れているように感じる。

『名人論 稀代の天才たちはいかに戦ったか』書影『名人論 稀代の天才たちはいかに戦ったか』(谷川浩司・PHP研究所)

 一方の宗銀にも、印達をここまで成長させた重厚さがあった。もし宗銀が凡庸な棋士であれば、57番勝負そのものが歴史に残らなかっただろう。勝者だけでなく、敗者もまた歴史をつくる。宗銀はまさにそうした存在だったと思う。

 印達は1712年9月に13~14歳で夭折した。死因はわかっていないが、天然痘、結核などの感染症だった可能性が高いと思われる。

 印達の死後、1年も経たない1713年8月22日、宗銀も後を追った。19~20歳だったとみられる。死因はわかっていないが、おそらく印達と同様に感染症だったのではないかと思われる。

 将棋史には数多くの名人がいる。しかし、宗銀と印達のように、名人になれなかったからこそ伝説的存在になった棋士もいる。もし2人が長生きし、どちらかが名人となっていたなら、逆にここまで強烈な印象を後世に残さなかったかもしれない。若くして燃え尽きたからこそ、その光は今なお将棋史の中で異彩を放っているのである。