21歳2カ月で史上最年少名人となった谷川浩司。その記録を後に塗り替えた藤井聡太と、谷川は藤井がまだ小学生だった頃に盤を挟んでいる。対局後、藤井少年が見せた「意外な反応」は、谷川の記憶に強く残った。その後、棋士となった藤井を間近で見てきた谷川が語る、少年時代から変わらない「ある一面」とは。※本稿は、十七世名人・棋士の谷川浩司『名人論 稀代の天才たちはいかに戦ったか』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。
「有望な若手」から一気に
将棋界の中心となる存在へ
藤井聡太氏 Photo:SANKEI
私が初の名人位に就いたのは21歳2カ月の時で、藤井聡太さんが20歳10カ月で名人位を獲得するまでは最年少記録だった。当時の最年少名人位獲得者として、永世名人獲得は当然のように期待されていたことから、獲得できた時には充実感とともに、心底ほっとしたことを覚えている。
将棋界では、新しいプロ棋士として新4段がデビューし、いきなり際立った好成績を収めると、「有望な若手」とみなして棋士たちはその情報を共有する。だが、藤井さんの場合、共有するまでの時間が異様に短かった。2017年春の時点で、将棋界においては「いずれトップに来る才能」どころか「もうすぐ将棋界の中心になる才能」と感じる存在になっていたように思う。藤井さんは、まさに突然、将棋界の空気を変えたのだ。
アマもプロも参加する詰将棋解答選手権大会に藤井さんが12歳にして優勝、3連覇を続けていたことも大きく取り上げられた。これは棋士の中でも最終盤の力が桁違いに強いことを示していた。
詰将棋作家でもある私は、彼がつくる詰将棋の魅力も知っており、いずれは私のように詰将棋作品集を世に出すはずだと思っている。
強い若手が出てきた、というだけなら、将棋界はこれまでに何度も経験してきた。しかし藤井さんの場合は違った。「この人がどこまで行くのか」を見守るのではなく、「この人がいることで、自分たちの立ち位置、未来そのものが変わってしまう」と周囲に感じさせたのだ。
デビューした当初から、藤井聡太さんの名前は将棋をまったく知らない人の間でも広まり、藤井さんが幼い頃、モンテッソーリ教育を取り入れたキュボロなどのおもちゃで遊んでいたことが伝わると、キュボロは爆発的に売り上げを伸ばした。世の中の親たちは「どうすればこういう子が育つのだろう」と藤井さんの育った環境に関心を持ったのである。
小学生だった藤井少年との
忘れられない「初対局」
私は『中学生棋士』(角川新書)を執筆の際、愛知県瀬戸市にある藤井聡太さんのご自宅を訪ねたことがある。
というのも、私は小学生の藤井少年と将棋を1局指したことがあるという縁もあったからだ。その対局は、名古屋での2枚落ちの多面指しの指導将棋だった。藤井さんは巧みな指し回しを見せたが混戦になり、最後はこちらが勝勢となっていた。
多面指しのイベントであり、指導対局の終了時間も過ぎていた。こういう場合の指導対局では、決着をつけず、引き分けを上手側から提案するのが「定跡」となっているので、私は「ここまでで引き分けということにしませんか」と藤井少年に伝えた。







