21歳で史上最年少名人となった谷川浩司は、35歳で再び名人位を奪取し、17世名人の資格を得た。長い棋士人生を歩んできた谷川氏が、折に触れて考えてきたのが「名人とは何か」という問いだ。強さや実績だけでは語り尽くせない「名人」の重みは、どこから生まれるのか。将棋界の歴史と自身の経験を振り返りながら、その答えを探る。※本稿は、十七世名人・棋士の谷川浩司『名人論 稀代の天才たちはいかに戦ったか』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。
将棋が強いだけでは
名人にはなれない
谷川浩司氏 Photo:SANKEI
大山康晴先生は、「将棋だけでは名人にはなれない」といった意味のことも言っていた。名人には将棋の実力以外の「何か」が必要だと言っていることは間違いない。名人には名人としての佇まいが必要であること、派手なことを好まず、軽々しく喋りすぎず、長く地位を保つだけの節度と重みを持つことなどだろうか。
升田幸三先生が奔放で、言葉でも人を惹きつける華やかな存在だったのに対して、大山先生はもっと抑制された方だった。若い頃は特にそうだった。しかし、それは地味ということではない。多くを語らず、勝つことで示す。しかも、ただ勝つのではなく、名人位に長く就いた者の重みそのものを背負って勝つ。そこに、大山先生ならではの迫力があった。
名人位は、少なくとも大山先生にとっては単に棋戦の1つではなかったはずだ。そこに将棋界全体の歴史や権威が重なっていた時代にあって、大山先生はその中心に立ち続けた。
私は大山先生に20局教えていただき、成績だけでいえばこちらが勝ち越している。けれども内容を振り返ると、終盤で逆転した将棋が多く、序盤・中盤では押されていることが少なくなかった。若い頃に大山先生から痛い目に遭わされた棋士たちが、その後何10年もどこかで苦手意識を引きずっていたとしても無理はない。
また、私自身にとっても、大山先生との対局は単なる一局ではなかった。勝負の技術だけではなく、名人というものがどういう重みを帯びるのか、その一端を盤の向こう側から感じる経験でもあった。
名人とは何か――。
強いだけでは足りない。長く強くなければならない。勝つだけでも足りない。どう勝つか、その勝ち方にその人の将棋観や人間観がにじんでいなければならない。そして、衰えや病を抱えてもなお、盤の前で相手に畏おそれを抱かせる何かを持っていなければならない。
その意味で、大山先生はやはり特別な存在だった。記録の大きさだけでなく、名人という存在に込められた重み、怖さ、品格、執念――そのすべてを一身に引き受けておられた。
「名人とは何か」との問いに対して、大山康晴15世名人は、言葉ではなく、勝負の結果と生き方そのもので答えを示された方だったと思う。
名人位とは単なる
肩書きではない
第55期名人戦は、私の名人奪取で終わった。私は名人通算5期となり、17世名人の資格を得た。感想戦で、羽生さんが珍しく「悔しいです」と話したことが印象に残っている。
終局直後、深い疲労とともに安堵がこみ上げてきた。「終わった」。胸の奥に、静かにその一言が沈んでいった。







