子どもと一緒に美術館に行くと、つい「解説を教えてあげなきゃ」「感想を言葉にさせなきゃ」と力が入ってしまいませんか? 『「いまを生きる力」を取り戻す 感性の教室』の著者・末永幸歩氏が語る今回のテーマは、生まれながらに開いている「子どもの感性の扉」について。《笑う男》を前にした娘さんの直感的な行動から見えてくる、大人が子どものまなざしから学ぶべき大切な姿勢と、日常の豊かさを取り戻すヒントをお届けします。(聞き手/ダイヤモンド社・森遥香)
©︎Mauritshuis, The Hague
走って逃げ出した娘
森遥香(以下、森):前回はレンブラントの《笑う男》から「オペラの歌声」を導き出しましたが、末永さんはこの絵をご家族とも鑑賞されたそうですね?
末永幸歩(以下、末永):はい、6歳の娘に見せてみたんです。フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》を見せたときは、「お肌がツルツルだね」「青い色がきれい」などと色々な感想を言ってくれていたのですが、この《笑う男》を見せた瞬間、「やだ! 怖いよ~!」と叫んで、走って別の部屋へ逃げていってしまったんです(笑)。
森:走って逃げ出すほどの拒絶反応だったんですね!
末永:「1個だけでもいいから感想教えて!」とお願いしても、「見たくない!」と半泣きになって拒むんです。後から理由を聞いたら、「だって、泥棒だから」と言っていました。
森:泥棒! 子どもらしい直感的な見立てですね。
「観察対象」として見る大人、「世界に没入する」子ども
末永:最初は「感想が聞けなくて残念だな」「まともに鑑賞できなかった」と思ったのですが、後からよく考えると、この娘の反応もまた「子どもならではの感性の扉が開いている状態」なんだとハッとしました。
森:どういうことでしょうか?
末永:私たち大人は、不気味な絵を見ても「光の当たり方はどうか」とか「どんな表情か」などと、あくまで絵を観察対象」として距離を置いて鑑賞することが多いのではないでしょうか。しかし、子どもは絵と自分との間に壁を作っていません。言い換えれば、絵の放つ雰囲気やオーラの中に身体ごとどっぷり没入しているようです。
森:だからこそ、街で本物の危険人物や泥棒に遭遇したときと同じように、「危険だ! 逃げなきゃ!」と身体が瞬時に反応したわけですね。
末永:その通りです。大人のように言葉で論理的に説明できなくても、「身体全体」で作品からのインパクトを受け止めている。これこそが『感性の教室』で話した「世界からの働きかけを受容する(=感性)」の原点なのではないでしょうか。
森:なるほど。子どもは子どもならではの仕方で、作品を味わっているわけですね。
親御さんが子どもと一緒に美術館に行く際、大人はつい「これ、何の絵に見える?」「解説読んであげるね」と教え込もうとしてしまいますが、それは不要なのでしょうか?
末永:子どもが知りたがれば教えても構いませんが、基本的には不要だと思います。今回のように、たとえ「怖い!」というだけの反応であっても、それは子どもなりにの立派なアート鑑賞です。一枚の絵画を見て、それが今にも動いて襲いかかってくるかのように生き生きと鮮やかに想像の翼を広げているわけですから。
傍にいる大人にできることがあるとすれば、子どもの的外れな感想も率直な反応も否定したり訂正したりせず、「本当だね」とそのまま受け止めてあげることだけなんです。
森:大人の凝り固まった思考をほぐし、子どもの豊かなまなざしを取り戻す。対話を通じて、見慣れた絵画や日常の景色がまったく新しく見えてくる感覚を味わえました。末永さん、本当にありがとうございました!






