「長年、部下から慕われてきたはずなのに、定年の日、誰も見送りに来なかった」。そんな寂しい思いをする上司がいます。毎日のように部下から相談され、会議では自分の意見が尊重され、飲み会でも周囲に人が集まる。しかし、それが本当に「自分への信頼」によるものなのかは、役職を離れたときに初めてわかることがあります。では、定年の日に「誰も見送りに来ない」上司には、どんな特徴があるのでしょうか。『3000件の職場の悩みを解決したプロが教える リーダーのふるまい大全』の著者・本田淳也氏が、その理由を解説します。
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定年退職日、誰もこなかった
朝、出社すると、何人かの部下が「今日で最後ですね、お疲れさまでした」と声をかけてくれた。
昼には小さな食事会もあった。
それなりの一日だった。
夕方、パソコンを閉じた。ロッカーから私物を出して、紙袋に入れた。
周りではいつものように電話が鳴り、キーボードの音がしていた。部下たちは仕事を続けていた。
「さすがに、誰か来るだろう」
エレベーターまでの廊下を歩きながら、少しだけそう思った。
昨日まで毎日のように報告や相談に来ていた部下たちの顔が、頭に浮かんだ。
会議では自分が話せばみんなが注目した。飲み会では周りに人が集まった。
それなりに慕われていると思っていた。
でも、振り返っても誰もいなかった。
エレベーターのボタンを押した。扉が開く前に、もう一度だけ振り返った。部下の一人と目が合った。「お疲れさまでした」と言ってくれた。それだけだった。
扉が閉まった。
もう「部長」と呼ばれることはないのだと、そのとき初めてはっきり思った。
部下は「自分」についてきていたのか
これは、特別な話ではありません。
管理職になると、部下が報告に来る、相談に来る、指示すれば動く、飲み会では周囲に人が集まる
――そういったことが自然に起きます。
でも、それがすべて「自分への信頼」の結果かというと、そうとは限りません。
役職があるから生まれている行動も、少なくありません。
報告するのは上司だからであり、従うのは組織の中にいるからであることもある。
「部長」という看板が外れたあとも、部下がその人と関わりたいと思うかどうか。そこに大きな違いがあります。
では、役職を超えた関係は、どうすれば生まれるのでしょうか。
最後に残るのは、日々の接し方
特別なことをする必要はありません。
部下が困っていたら声をかける。
結果だけでなく、そこまでの過程を見てあげる。
部下に支えてもらったときは、「ありがとう、助かったよ」と言う。
役職や経験年数ではなく、一人の人間として接する
――そういった日常の小さな行動の積み重ねが、役職がなくなっても残る関係をつくっていきます。
エレベーターの扉が閉まる一瞬に何を感じるかは、定年を迎えるずっと前の、日々の“ふるまい”が決めています。








