第一次世界大戦後、ヨーロッパの地図は大きく塗り替えられた。多民族を束ねていたハプスブルク帝国は崩壊し、各地で新しい国が誕生。「民族ごとに国をつくれば平和になる」と思われた。ところが、国境を引き直しても民族問題は消えず、欧州の国々はアメリカやソ連の台頭にも直面する。そんな時代に生まれたのが、国境を越えてヨーロッパを結び直そうという思想だった。なぜ帝国の崩壊が、逆に「統合」への発想につながったのか。『地図で学ぶ「深読み」世界史』の著者・伊藤敏氏が、現代のEUにも通じる意外な歴史のつながりを解き明かす。

ハプスブルク帝国の崩壊から「ヨーロッパ統合」の思想が生まれた。その「意外すぎる理由」とは?Photo: Adobe Stock

「ヨーロッパは一つに」第一次大戦後に生まれた新たな発想

 第一次世界大戦が終わると、ヨーロッパの地図は大きく変わった。ハプスブルク家が支配したオーストリア=ハンガリー帝国も崩壊し、各地に新しい国家が生まれた。一見すると、これは「民族ごとに国を作る」というナショナリズムの勝利に見える。

 ところが、帝国が消えた後のヨーロッパには別の問題が現れた。大戦で各国は疲弊し、アメリカは世界的な経済力を持つようになり、ロシア革命の後にはソ連も成立した。イギリスやフランスのような一国だけで世界政治を動かしてきた時代が、少しずつ終わり始めていたのである。

 そこで生まれたのが、「ヨーロッパそのものがまとまらなければならない」という発想だった。国家を越えたヨーロッパ統合の思想である。

 この動きを考えるうえで興味深い人物が、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーである。彼は1920年代に汎ヨーロッパ運動を始め、ヨーロッパ諸国が協力する必要性を訴えた。第一次世界大戦が「国家同士の対立」がどこまで破壊的になりうるかを示した以上、同じ悲劇を繰り返さないためには、国境を越えた仕組みが必要だと考えたのである。

ハプスブルク帝国とEUには「意外な共通点」があった

 面白いのは、この思想がハプスブルク帝国崩壊後の中欧から出てきたことだ。そこはもともと、多民族、多言語の人々が同じ君主のもとで暮らしていた地域だった。帝国そのものを復活させるわけではなくても、「異なる国や民族が一つの枠組みの中で共存する」という発想には、どこか共通点がある。

 もちろん、現在のEUはハプスブルク帝国の延長ではない。成り立ちも制度もまったく違う。それでも、「小さな国家がばらばらに競うより、より大きな枠組みで協力する」という問題意識はつながっている。

 しかも、第一次世界大戦後に生まれた小国の多くは、自国の中にも別の民族集団を抱えていた。帝国を解体すれば民族問題がすべて解決するわけではなかったのである。だからこそ「民族ごとに分かれる」だけではなく、「国家を越えて再び結びつく」という発想が必要になった。ヨーロッパ統合思想は、帝国崩壊後に残った現実的な課題への一つの答えでもあった。