世界一流は「締め切り」を決めない。本連載の著者は、外資系IT企業の米国本社でシニア・プロダクト・マネージャーとして働く福原たまねぎさん。世界トップレベルの同僚たちを間近で観察するなかで、彼らの強さの正体は、毎日のように繰り返される「短い言葉」と、その裏にある思考法にあることに気づいたという。福原さんの著書『その仕事、スケールするの?』の発売に際して、今回は、世界一流の同僚たちが「締め切り」の代わりに使う言葉を紹介する。

世界一流Photo: Adobe Stock

「締め切り、いつですか?」と聞かれない職場

シアトルで働きはじめて、しばらくしてから気づいた違和感がある。誰も「締め切り(deadline)」という言葉をほとんど使わないことだ。日本のオフィスでは「これ、締め切りいつですか?」が挨拶みたいに飛び交っていたのに、こちらではめったに耳にしない。

代わりに聞こえてくるのが、この口癖だ。

“What's the ETA?”
「完了はいつになりそう?」

ETAとは、Estimated Time of Arrivalの略。直訳すれば「到着予定時刻」だ。実はこの言葉、日本のみなさんも毎日のように目にしている。カーナビの画面に出る「到着予定 14:32」、宅配アプリの「あと10分で配達予定」。あれがETAだ。世界一流たちは、この「到着予定時刻」という発想を仕事に持ち込んでいる。

締め切りとETAの違いは、たった一つ。締め切りは上から与えられる願望で、ETAは積み上げから導かれる予測であることだ。

締め切りは「希望的観測」でできている

なぜ彼らは締め切りをそのまま信じないのか。理由はシンプルで、人間が決める締め切りの多くに根拠がないからだ。

心理学ではこれを「計画錯誤(planning fallacy)」と呼ぶ。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンらが示した、人間は自分の作業時間をほぼ必ず楽観的に見積もってしまうという性質だ。夏休みの宿題を最終日に泣きながらやった記憶のある人なら、この錯誤の威力を身をもって知っているはずだ。

つまり「今月中にやります」という宣言は、多くの場合、分析ではなく願望だ。世界一流たちは、この人間の弱点をよく知っている。だから願望ではなく、予測を口にする。

“What's the ETA?”は信頼の言葉

では、ETAはどうやって出すのか。手順は地味だ。やるべき仕事を細かいタスクに分解する。一つひとつに「これは2週間」「これは3日」と見積もりを載せる。それを積み上げた先に、自然と浮かび上がってくる完了予定日。それがETAだ。

だから現場で“What's the ETA?”と聞かれても、誰も詰められているとは感じない。この質問は「あなたの見積もりを信頼している。プロとしての予測を聞かせてほしい」というサインだからだ。逆に、根拠を示さずに「がんばって今月中に!」と宣言するほうが、周囲の眉をひそめさせる。それは予測ではなく、ただの気合だからだ。

「今年中にやります」と言ってしまったら

こんな場面を、ぼくは何度も見てきた。お偉いさんがずらりと並ぶ会議で、誰かがうっかり「今年中にやります!」と宣言してしまう。チーム全員の頭に「いや、それは無理だ」がよぎるのに、その場では誰も何も言えない。日本なら、ここから徹夜のラストスパートが始まるところだ。

でもシアトルの一流たちは違う。会議が終わるとすぐ、チームで淡々とタスクを分解し、時間を積み上げはじめる。そして数日後、宣言した本人のところへ静かにプランを持っていく。「現実的なETAは来年の春です。必須ではない機能は、すでに全部外してあります」と。

面白いのはここからだ。細かい分解と見積もりの上に立つETAには、反論の余地がほとんどない。だから多くの場合、動くのは現場ではなく締め切りのほうだ。気合が締め切りを守るのではない。根拠が締め切りを動かす。この光景を初めて見たとき、ぼくは衝撃を受けた。

ETAは「あきらめ」の宣言でもある

気づいた人もいるかもしれない。ETAを出すとは、「ここまではできます」と言うと同時に、「ここから先は、この期間ではできません」と白旗を上げることでもある。

一見、無責任に聞こえるかもしれない。でも実は逆だ。できないことを最初に伝えるのは、あとで関係者をがっかりさせないための誠実さだ。期限ぎりぎりに「すみません、間に合いませんでした」と頭を下げるのと、最初に「ここまでならできます」と示すの、信頼されるのはどちらだろうか。世界一流は、あきらめる場所を先に決めるのがとにかくうまい。

明日から「ETAで返す」

この口癖は、今日から借りられる。上司に「これ、いつまでにできる?」と聞かれたら、その場で「がんばります」と即答するのをやめてみる。代わりに、仕事を小さく分けて、ざっくり見積もって、こう返してみる。「水曜までにここまで、金曜までに全部できます」と。

たったこれだけで、仕事の主導権は少しだけ自分の側に移る。次に根拠のない締め切りが降ってきたら、ETAを意識してみてほしい。

願望ではなく、予測で仕事をする。世界一流が毎日やっているのは、たったそれだけのことだ。