受験に失敗した生徒から報告を受けると、坪田信貴さんは「僕の指導が足りませんでした」と、まず自分から頭を下げるといいます。「それでは本人の責任感が育たない」と批判されたこともありますが、坪田さんの考えは逆です。失敗した相手が、自分の責任と向き合えるようになる上司や先生は、何をしているのでしょうか。本稿は、坪田信貴著『育てる。』(ダイヤモンド社)から一部を抜粋して紹介する。

受験に落ちた生徒に、坪田信貴が「まず自分から謝る」理由Photo: Adobe Stock

子どもや部下が失敗したとき、なぜ「まず自分が謝る」のか

 僕は塾の先生になったとき、一つだけ決めていたことがあります。子どもが志望校に合格できなかったと報告してきたら、まず自分の指導能力不足を謝罪する、ということです。

 これまで、「子どもの努力不足です」と指摘する先生には出会ったことがありました。でも、

「自分の指導が足りませんでした。申し訳ありませんでした」

 と頭を下げる先生には、ほとんど出会ったことがありませんでした。

 もちろん、受験には本人の努力も大きく関わります。勉強しなかった、努力を続けられなかったという本人側の要因もあるでしょう。それでも、親御さんや子どもたちは、人生における大切な受験という機会に、僕の指導を仰いでくれたわけです。だとすれば、「自分の指導のどこが足りなかったのか」「次は何を改善すべきなのか」を、まず僕自身が考えるべきだと思っています。

 日本テレビの『人生が変わる1分間の深イイ話』という番組で密着取材を受けたとき、ちょうどある教え子から受験結果の報告がありました。そのときも、僕はいつも通り、頭を下げました。

「合格させることができなくて、本当に申し訳ありませんでした。僕の指導が足りませんでした」

 すると生徒は、面食らったような表情をして、こう言いました。

「いや、先生のせいじゃないです。私の努力不足以外の何ものでもないですから」

 その現場を撮影していたディレクターさんから、あとでこう言われました。

「今回、実は裏テーマが、“ビリギャルの先生は、受験に失敗した生徒にどんな対応をするか”だったんです。でも、まさかストレートに謝るとは思っていませんでした。責任問題になりかねないのに、逡巡せず謝罪される姿に感動しました」

先に謝っても、「本人の責任」が消えるわけではない

 放送後には、

「なぜ先生が謝るのか」

「それでは、本人の責任感が育たない」

 という批判もありました。でも、僕が先に謝ったからといって、生徒本人の責任が消えるわけではありません。先に謝るというのは、起きたことの全責任を自分一人で背負うことではありません。相手に責任がないと言うことでもありません。育てる側として、自分が引き受けるべき責任を、相手に責任を問う前に引き受けるということです。

 指示の出し方に問題はなかったか。必要な支援をしていたか。相手が理解しているかを確認したか。困っている様子を見逃していなかったか。自分に改善できる部分があるなら、まずそこを認める。そのうえで、相手にも自分が引き受けるべき責任を考えてもらえばいいのです。

責任は、押しつけると逃げたくなり、先に引き受けると戻ってくる

 上司が、「お前が悪い」「努力が足りない」「自分で責任を取れ」と最初から責任を押しつけてきたら、部下は自分を守ろうとします。

 言い訳をする。失敗を隠す。誰かに責任を転嫁する。でも、上司が最初に、「まず、ここは自分の責任だ」「自分の指示や支援に不足があった」「申し訳なかった」と言えば、

「いや、自分にも改善すべきところがありました」

「もっと早く相談するべきでした」

「自分も、この部分を甘く考えていました」

 と、自分の側の責任を考え始めることがあります。責任とは、不思議なものです。人に押しつけると逃げたくなり、こちらが先に引き受けると、相手も一緒に持とうとしてくれる。失敗したときに、

「この人の前なら、失敗を隠さなくていい」

 と思えること。それも、人が安心して挑戦するための「安全基地」なのだと思います。