世の中をあっと言わせる偉業を成し遂げた人は、どんなことを考えていたのか。サラリーマンでありながらサンダンス映画祭で日本映画史上初のグランプリを受賞し、『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』を上梓した長久允氏の思考を辿ります。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)
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遠回りにも意味がある
後悔なく働いている人は、どんな思考をしているのか。
そのヒントが、映画監督/脚本家の長久允(ながひさまこと)さんの言葉から見つかりそうです。
長久さんが映画を作り始めたのは32歳のとき。
映画監督になる夢を諦め、新卒で入った広告会社で10年以上、映画とは違う仕事をしていました。
長久さんは、当時のことについてこう語っています。
映画監督の夢はとうにあきらめていました。
「映画を作りたい」という気持ちには、もうすっかりフタをして鍵をかけ戸棚の奥にしまって、サラリーマンをしていました。10年以上、何も関係ないことをする時間を過ごしました。
ただ、今となってはそれがあってこその自分なので、必要な時間でした。たぶん、23歳から映画を作り続けていたら辿り着けなかった自分になっていると思います。
10年以上違う道を歩いたからこそ持てた眼差しがそこにあるからです。映画は、眼差しなので。はい。
私は心から思うのです。夢、あきらめてよかった。遠回り、最高。(ポジティブです)
――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p21より
自分の人生のクライアントは自分
そして長久さんは、10日間の有給休暇を使って、映画を作ります。
自分の人生のクライアントは、「自分」じゃんか。
それはそれはシンプルな気づきでした。よく考えたら当たり前なのに、労働する私はそのことを忘れて生きていました。(中略)
人生で一度でいいから、
「自分が本当に良いと思うかどうかのみを考えた映画」を作りたい。
そう思うようになりました。
誰かの共感を狙うとか、誰かに評価されるとか、そういう視点はもうどうでもよくなりました。
ここまで気づいても「1回きり」と思うところが小心者の証拠だなと今では思います。何回だってやっていいのに。
でも、あのときはそう思いました。1回だけ、好き勝手にやってみよう。そして、どうせ1回きりなのだから、他人に何を言われても気にしないで作ろう。
――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』p29-30より
心の底から「やりたい」と思うことに、惜しみなく力を注ぐ。
この経験が、長久さんの人生を変えます。
長久さんは、このとき作った映画でサンダンス映画祭のグランプリを日本人として初めて受賞し、映画監督デビューを果たしたのです。
自分に正直になることの価値
長久さんはこの経験から、どんな人にも脚本を書いてみてほしい、と言います。
きっとそれは「自分のやりたいことを表現してみてほしい」ということでしょう。
そして、その活動が仕事とは別の活動であったとしても、意味はあると長久さんは断言しています。
その脚本が、誰かに評価されなかったとしても、得られるものは必ずあるので不安がらなくていいです。
無責任に言っているわけではありません。「人生を脚本にする」という行為自体がこのような意味合いを持っていると思っているからです。
脚本を書くということは「客観的に(自分の人生を振り返り)、おもしろがる」行為。
過去感じた大きな感情を、言葉に吐き出していく。
あの頃つらかった自分を、上方からもうひとりの自分が観察して書き記していく。
そうやってある種、エンタメ化していくわけです。つらさは可笑しみに。惨めさは滑稽さに。や、そこまで変換されなかったとしても、主観的な思い出から一歩抜け出すことができるでしょう。(中略)
自分の人生を切り売りして、つらい体験を脚本に落とし込んだ場合、そうやってできた脚本こそがあなたにしか書けないものだと思うし、それは世界が評価するものになる可能性が高い。
しかし、評価されなかったとしても大丈夫。その脚本執筆という行為自体が、結果的にあなたにとって意味あるものになるはず。
大人になると、何かに一生懸命になる機会は、意外と少なくなるものです。
仕事では求められた成果を出す。失敗しないように進める。周囲の期待に応える。
もちろん、それらは大切なことです。
ただ、自分が本当にやりたいと思うことに、一度くらいは全力を尽くしてみる。その経験は、たとえ思うような結果にならなかったとしても、自分の人生に残るでしょう。
人生後半で後悔しないために大切なのは、何度成功したかだけではないのかもしれません。
自分が本当にやりたいことに、一度でも一生懸命になれたか。
そんな経験こそが、自分らしい人生を生きたという実感につながっていくのではないでしょうか。







